他人の人生

きわめて個人的なこと

みんなさびしい

他人からの評価でしか自分を認めることができない私は、すぐに自分を見誤る。だからたびたび生きるのがしんどい。他人が羨ましいという気持ちばかりが頭の中を占めていて、いつだって自分には何もないなと思う。

このまま生きていくのかな。言いたいことも言わなきゃいけないことも何も言えずに、生きていくのかな。だとしたら余りにも長い。人生が、遠い。

悲しいことが起きて、でも私は元気に見えてどうしようもない。悲しい、一言、それが言えなくて26年経ってしまった。喉の奥で化石みたいになって積もっていく言葉が、なんてことない言葉までせきとめている。愛嬌があっていいな、可愛がられていいな、大事にされていいな。そんなことを言っている自分を想像したら醜すぎて震えた。つい口走ってしまわないように、やっとのことで息を整える。

誰かの足跡の上を歩いている。何度も「強いね」と言われる。そう言われると強くいなくちゃいけない。「強い」と言われると、その度に呪いがかかる。そうだよ、私は強い。でも、はじめから強かったわけじゃない。強くならないと生きていけないから、強くなった。それだけ。だって泣いても動けなくても誰も守ってくれんかったやん。あなたはいいよね、守ってもらえて。大切にされて。庇ってもらえて。その愚痴もその環境にいるから言える言葉ばっかりだよね。口に出せばきっと後から後から美しくない言葉ばかりがあふれそうで、だから最初から何も言わない。汚いのは内側だけで十分。

自分で自分のバランスをとれるように頑張ってきたつもりだ。つもり、だから実際は分からない。むかし、頑張ってるのと頑張ってるつもりは全然違う、頑張ってるかどうかは他人が決めるものだと叱られたことがある。元々それ以前から私は他人の評価でしか自分をはかれなかったのだけど、ああ、頑張ってるなんて主観なんだなと恨みみたいに思った。

人に止められないと止まらない。

人にGOを出されないと動けない。

人から言われたイメージそのままの私を実行してしまう。

もらった言葉の通りの人間になった。

すぐに言葉の呪いにかかるのに、呪いは簡単にとけない。

不用意に人と関わると、どうでもいいところで傷ついてしまう。私の場所はどこだ。私の存在はどこだ。私の意味はどこだ。

たぶん、そんなの、はじめからない。

私が私をしっかり捉えていないから、私が自分の中でかたちになっていない。私はきっと一生、人に認められてギリギリ安心しているんだ。

たまに考える。私をたくさん褒めてくれたあの人は、誰かにちゃんと褒められていたのだろうか。ほら、こういう主観的なところ。みんな寂しいなんて勝手に思い込んでるところ。