他人の人生

きわめて個人的なこと

依存先と恋愛先を同じにしてしまった女の末路

コンビニの駐車場でいるはずのない人の影をみた。横顔がとてつもなく似ていて、別の人だと分かっているのに目が離せなくなって、ああまだこんなに固執しているのは私の方じゃないかと肩を落とした。今はもう、恋というより、依存だと思う。ううん、依存よりもっと薄くて弱い、何だろう、残り香みたいな。何年も近くで見てきていた人がある日ふっと姿を消したようなもんだから、こんなふうにふと思い出したり似ている人に重ね合わせたりしてしまうのは仕方ないのかもしれない。きっとそのうち残像すら消えてしまう。

終わってしまったことは全て終わってしまったことでしかなくて、もう改めて同じ人と恋を構築しようなんてことは一ミリも思わない。それでも、恋を構築するずっと前から精神的な拠り所にしていた部分が未だに残っていて、依存だなと思う。10代の頃に書いていた日記にすでに登場しているその人に私はそれはそれは依存してきて、別の人と付き合っていたときも心の拠り所はその人にあって、会いたいなと思えば大体夜中に会えたし、眠れない夜中にボンバーマンしようぜって急に呼び出されてのこのこ出て行ったりもしてた。今よりもっと私が狂ってた時代から私を私として扱ってくれていて、それが心地よくてずぶずぶしていた。そこに甘えすぎて、何を間違えたのか恋愛関係を構築してしまって、案の定恋愛関係にしてしまったものは壊れたらそこで終わりだ、全部終わり。そのリスクがあると知っていてずっと何年も悩んで、それなのに足を踏み入れて壊してダメにして、そして未だに残像に振り回されている。こんなの不健康だ。いつから不健康だったのだろう、私は。

スピッツが好きだったのか、その人が好きなスピッツが好きだったのかすら分からないくらいに混乱してしまうことが今もある。未だに、今日はスピッツを聞けないなっていう日がある。そんなのアリ?なしでしょ、って思う。何故かペーパードライバーの私が運転して、助手席にその人を乗せて、夜中の宮崎の田舎の道路を爆走した記憶が蘇ってなんかつらい。川をわた〜る〜って二人で大声でスピッツを歌いながら水色の車を爆走させた小雨の夜。ありえないくらい楽しかった。いつも、あ、これが幸せのピークなのかなって思ってた。そう、たぶんその頃は楽しすぎた。楽しすぎて怖かった。反動で地獄に落ちる夢をみるくらいには楽しすぎて怖かった。夢の中でリアルに血だらけになっていて、しかも傷がちゃんと痛んでいた。そのくらいリアルに傷つくのがこわかった。なくなるのがこわかった。私のことだから、恋愛にすればなくすとわかっていたのに、怖いの隣り合わせの幸せで、訳の分からないバランスをとっていた。

何度も言うけれど、恋は復活しない。私には一度壊れたものを修復できる力はない。それに、もうこりごりだと思っている。怖いなって思いながらする恋愛はしたくない。恋愛よりも大事なものがたくさんある性分で、それをなくすくらいならば恋愛なんてしない方がいいよって26年かけてやっと理解した。経験しないと理解できない不器用さに腹が立つ。

なんかもうお互い見えてるものが違うなって感じ始めてたときには遅くて、頑固な私も引き下がれなかった。結局最後までその人の前でわんわん泣くようなことはしなかったしできなかったけれど、もう少し恋愛してたかったよって振り絞って一言だけは言えた。恋愛のその先のことばかり考えないで、目の前の私を見て欲しかったよって、それまで思っていたことをその一言に込めた。そしたら、そうだね、俺たち恋愛だったよねって諦念の混ざった声で返ってきて、それはそれで痛かった。痛くて、幸せだった。ちゃんと恋愛だったんじゃんって思った。相手は恋愛の先を見たくて、次に次に進みたいと考える人だったから「俺たち恋愛だったよね」には、まだそこから先にいけない、自分たちはここ止まりなんだなっていう悲しみの音色が含まれていた。それでも私はそれすら嬉しかった。歪んでるよね。ほっとした。恋愛って思ってもらえてたんだと思った。私を抜いて進んでいくストーリーがいつも怖かった。展開がはやすぎてついていけなくて、私のポジションには誰でも代役がいるなと思っていたから、恋愛だったと言ってもらえて救われた気持ちになった。

あれこれ書いたけど、普段は何食わぬ顔で生きている。それでもたまに日常に顔を出す残像がある。長い間見てきた人を忘れるのって簡単じゃないんだなってようやく知った。こういうことすら経験しないと理解ができなくて辟易する。

たぶん、美化している。美化しているということは、過去になったということだ。大好きだった。大好きだった。でも、大好きだったのは、記憶だけ。終わって欲しくない夜の記憶は誰にでもあって、でも、それは記憶だけ。その夜を過ごした人とこの先会うことがなくても、その夜を過ごした人とこの先笑うことがなくても、見て聞いて感じて話して触れて、その夜に起こったこと全てを覚えておきたい、覚えておきたかった夜があったという記憶だけは残る、それってなんて素敵でなんて残酷なんだろうね。あけましておめでとうをいちばんに言えて幸せだったことがあるのは確かで、それを思い出と呼ぶんだろうな、そしてその思い出とやらがどんどん増えてくんだろうな、歳を重ねるのは酷だけれど尊い。本人にすら言ったことはないけれど、初めて出会ったときにその人は鍵盤に向かっていて、私はその横顔を見ながら、あ、絶対にこの人と恋に落ちるって悟った。18の私はだいぶすごい。どんなにくそやろう!って思っても、あの人のピアノの音だけは越えられません。私がどんなにこの先ピアノを弾いたとしても、練習したとしても、あの人の音色にはなりません。出会った時から負けを確信してて、才能に惚れていて、だからこそ厄介だったのだ。残像。残像。残像。よく弾いていた曲。アンドレ・ギャニオンの巡り逢い。どっからその音出るんだ?ってずっと見ていた夏の夜。結論、才能に惚れると厄介なのだ。こんなふうに書いているそばから全部過去になっているから時間はすごい。時間が解決するというのは本当だ。本当とかいてマジと読む。何の話や。未練というより、今は依存から少しずつ手を離している途中なのかもしれない。私のことだから時間が経てば忘れて、初めからなかったみたいにしてしまうのだ。

絶対に恋なんかするもんかと誓ったけれど、お互いきっと数年後には知らん誰かと一緒に笑ってるよね、それで良い。そうであってほしい。ちゃんと、図太い私でいたいし、あなたにも私の知らんところで健康に過ごしてほしい。