他人の人生

きわめて個人的なこと

にっき

嘘つくのは得意なはずなのに、お世辞を言ったり割り切って妥協したりするのが苦手だ。学生の時にコールセンターでバイトをしていたけれど、おすすめすべき商品を自分自身が良いと思っていなかったため、全くうまいこと言えなくて営業成績ははだいぶ下の方だった。その商品の良さを語ろうとしても、どこかで「でも実際こういう場面ではこういうデメリットにつながるんだよな...」と考えてしまい、声に自信のなさが出る。分かりやすい。わかりやすいお世辞も言えない。その場を乗り切るための上手いこと全般を言うのがとても苦手。要するに、社会の多くの場面で向いていない。私はきっと生きる場所を自分で慎重に選んでいかないとかなり生きづらい。自分にとってストレスなことをある程度まで我慢して馴染もうと努力できるのも良くない。そしてある程度まで完成させられてしまうのも良くない。その裏でどれだけ眠れない夜があって、どれだけ眠りすぎてしまう休日があって、私にすら望まれていないのに私の胃に流し込まれた食べ物や飲み物があって、中途半端に依存された人がいて、うまくいかなかった人間関係があっただろう。考えたくもない。

プライドが Mt.Fuji なので、同情されると消えてしまいたくなる。それなのに誰かからの共感を求めてる。なんか最近どれだけ頑張ってもそれだけじゃんって諦めが出てきている。結局心の安心安定の中で育ってきた人は強いし、愛されて真っ直ぐに大人になってきた人が持っている確固たる「存在としての自信」は今から身につけようとしても難しい部分がある。私は5歳くらいから既にひねくれていた自覚があるから、20年分巻き戻して生き直すことになる。むりや。

最近ドラマや映画で恋愛ものを見過ぎて、なんだかエモめのものを書きたくなって、いつものようにその場のノリでnoteを書いたらそれなりにウケてしまった。シェアしてもらったり、謎の執着系のコメントがついたりした。こういう感情のないまま書いたnoteが褒められると、見えない誰かに対しての罪悪感がある。真っ直ぐに恋愛している人、もしくは、叶うはずのない恋に打ちひしがれている人、誰かを誠実に思っている人、罪悪感を向ける「誰か」が多すぎる。コメントの中には(おそらく)完全実話だと思っている人がいるみたいで、私はまた一つ嘘をつくってしまった。私は付き合ってもいない異性の家に上がることができるほどコミュ力も魅力もないし、視力良いのに洗面台にコンタクト液あるんだって察知する能力は野性のトラくらいはあるけれど、こんなエモエモの経験できるんだったらもっとこう、なんというか違う方向に進めていたんじゃないかって思う。初めて覚えた四字熟語は品行方正。想像のみで指で簡単につくりあげられた嘘の方が受け取る側も気楽に読めるのかな、と、その一つ前に上げた実話ベースのnoteのスキのつかなさと比べて思う。こんなふうにあとから知らん誰かに申し訳なくなるくらいなら書かなければいい。存在価値と恋愛のこととか、結婚と将来のこととか、夢がないと生きてちゃだめなの?ってこととか、真剣に書きたいことはたくさんあるけれど、それはネットに書くべきじゃないんだろう。人と顔を合わせることが減って、どれが自分の本物の顔だったか忘れる。ギリギリまで向き合えない。「花束みたいな恋をした」と「ドライフラワー」の文字をみると何かの防衛本能が働いて、その話題からぶわーっと逃げてしまう。人の本心はいつでも分からないけれど、勝手に他人のことくくるのはやめろよって思う。多分結果なんて見えててどうなるかくらい分かってて、それでも抗えないから「恋に落ちる」と言うのであって、ダメと言われたからダメ、で諦められるんなら最初から恋なんてしてないはずで、人の気持ちは金で買えないんだよね〜〜〜。人の気持ちが金で買えなくて良かった。その点だけはこの世を作った神様(?)まじ感謝。