他人の人生

きわめて個人的なこと

ノーモアチャンス

【愛を与える人と受け取る人とどちらでもない人、ギブとテイクとノーモアチャンス】

という、謎の下書きがツイッターにあった。

尽くすことと尽くされること、どちらが幸せなのだろう。

サポート役にまわるのは苦手ではないけれど、尽くすとか愛を持って接するとかそういう境界がわからなくなる。

お節介だとかうざいとか言われるのがこわいからあんまり踏み込みたくない。自分も放っておいてほしい性格だから深入りは迷惑なものだと思ってしまっている。

占いで「良いお母さんになる」と言われたことがある。いつか子どもを持つまで発揮することはない能力だなと思った。

好きだった人に「お母さんみたい」って言われたことがある。なんか嫌だなと思った。その人に対しての愛はそういう愛じゃなくてもっとなんて言うかこう、違う様相をしていてほしかったのになと思った。

私は愛情深い人間じゃない。献身的でもない。ちょうど良い愛情ってよく分かんない。愛の不在着信。え、何言っとるん。

時折ものすごく愛が欲しくなって、でもよくよく考えたら自分にうまく当てはまりそうな形をした愛が見当たらなくて、私はただ「ありがとう」とかそういう些細なやりとりがしたいだけなんだけど、それが一方的になるから違うんだろうなとか考えるなどして。

そんなことを考えていたら、通勤途中で愛に遭遇してしまった。それはそれはビッグラブ。無口な愛。車の行き交う道路の真ん中にぽつんとうずくまっていた鳩をすんなり助けた青年。私はあの人にとっての幸せがこの先ずっと続いてくれと願うことしかできない。ああいう見返りを求めない優しさを当たり前みたいに差し出せる人、なんかもう5億円くらい当たって欲しい。そっか、私の愛はうるさすぎるんだわ、というか私はいつもわーわーうるさい。根本的にうるさいんだ。自分がうるさいからこそ、静かな愛が羨ましいんだろうなあ。大人になりたい。

最後にツイッターの下書きにあったものをもう二つ。

【ツイートしないことが本音 黙るってのが生きるってことよ】

【LOVEとLOVE ふたつあわせてPEACEなら神様なんていらなかったよ 】

相変わらずうるさい。下書きですらうるさいぞ?