他人の人生

きわめて個人的なこと

キムチと昨日のこと

さっき、ずっと冷蔵庫に入れていたキムチを食べたらしゅわしゅわしたんだけど大丈夫かな?一口食べて「ん???」と思ったんだけど、どうせ一口食べちゃったしな、と思って最後まで食べた。お腹壊すくらいなら良いけど、苦しんでのたうちまわりたくはない。私は本来どちらかというと賢い部類に入ると思うんだけど(自分で言うくらいには賢くない)、たまに物凄くお馬鹿さんになってしまうので、一口目で「あれ?」と思っても食べるのをやめない、みたいなことをしてしまう。子どもの頃、「あれ?この納豆、ちょっと黒い...?」と思いながら全部食べて、数時間後にのたうちまわって点滴した。自業自得。今回はそんなことになりませんように。キムチは発酵食品だから大丈夫だよね。私の胃腸よ、頑張ってくれ。

昨日は、自分の存在意義についてずっと考えていた。貰ったありがとうが心の奥深くに染み込んで少しだけ泣いてしまった。優しい人に試練なんて与えなくて良いのにと、いるかも分からない神様をちょっと憎んだ。誰かの役に立つことが苦ではないけれど、それが本当に誰かの役に立っているのかは分からないよなってこと。人は安心のために情報を欲するということ。自分も安心のために情報が欲しいと思ったこと。でも取材の電話にそれどころじゃないよって一瞬でも思ってしまったこと。それが声に出ないように頑張った、その「頑張った」自分に気付いて自己嫌悪に陥ったこと。身近な守りたいものがどこにもなくて、だからそれを他人に委ねているってことにどこかで気付いていること。やっぱり他人を介してでしか、自分の価値は分からない。一生誰かのために生きていければいいのにな。それを偽善とか弱いとか自分が無いとか言われず、自分で勝手に知らず知らずのうちにすり減って気づいたらすっと消えてるような生き方が良い。それが喜びだと疑うことのない日々が良い。誰をいちばんに守る?何をいちばんに逃がす?今、自分の役割はこれだとはっきり言えるけれど、三年後、十年後、私の役割は?守りたいものや人は増えている?もし増えていたら私は自由が減ったと感じてしまう?昨日はたくさんのありがとうを貰った一日だったけれど、私は帰り道に鳴いていた雨に濡れた子猫すら助けられなかった。私を見てみゃーみゃー鳴いていた。ああどこまでいっても無力な夜だなあと思いながら、自分の存在意義についての答えは出ないまま、帰ってしこたま寝た。

昨日のことはnoteに真面目に書きたいけど、頭が働かないからとりあえずこっちに吐き出しとく。