他人の人生

きわめて個人的なこと

都合の良い女はごめんだけど都合の良い恋愛がしたい

会いたいの四文字に突き動かされてこの時間にタクシーに飛び乗る人の気持ちが知れない。終電なくなっちゃうよ?どうする?もう一杯飲む?と終電十分前に相手の目を覗き込むような人のことも理解できない。それなのに狂った時の自分は感情とか理性とか理解とかそういうの全くなく気づいたらそういう言動をする。冷静になってから振り返ると吐き気がする。恋愛は別人格。執着が酷い。上書きも早いし恋愛に対する嫌悪も凄い。自分の恋愛に対する諦めや気持ち悪さも、他人からの好意を必要以上に恐れる気持ちも、こんなことならはじめから恋愛なんて要らなかった気さえする。

都合が良いって何だろうと考えながら、都合が良い女になるのはごめんだと思う。でも、都合が良いって何だろう。そんなこと言っていたら今私が求めている恋愛なんて全て都合の良さじゃないか。例えば、疲れた時にどろどろに甘やかされたい。そんなの自分の都合じゃないか。帰ってきたらご飯があって欲しい、それも。寂しい時に一緒にいたい、これも。全部都合の良さみたいに感じて、そこまで考えた時にじゃあ今まで私は都合の良さを恋愛と勘違いしていたのだろうかとはっとする。分からない。でももしかしたらそうなのかもしれない、それに大人の恋愛において都合の良さが全くないことなんてあるのだろうか。都合の良さがないとやってけないのでは?それも分からないけれど。

都合の良い女にはなりたくないと思ってやってきたつもりだったけど、それは裏を返せば相手を都合良くつかって(言い方は不適切だけど)いたのではないだろうか。振り回されていると思っていたけど振り回していたのかもしれない。

もう間違いたくないし人間関係を変に壊したくもない。でも間違いとか正解って今はわからないし、後になって間違いが正解になったり正解が間違いになったりする、人間関係も知らないうちに壊れたりする、だからイモッてばかりいても進めないのだ。それは理解しているつもり。でもどうしても自分が人間として、恋愛対象とか女性とかそういう位置付けでなくただの人として存在できている居場所を壊したくはない。居心地の良い空間はそのままにしておきたい。ならば私はきちんと線を引くべきなんだ。ロングが好きと言われたから髪を切れないみたいなずるずると楽な方、愛される方に流されて都合よくメンタルケアしてもらおうなんてずるい。そう、私がやめたい「都合の良さ」って、いつも大体そっちだったんだ、なんやそれ。だって愛されてるってわかる確実な言葉くれる人とおりたいやん。楽に好かれるんならそっちの方法試すやん。大きく変わって引かれたくないやん。冷められたくないやん。でも知ってる、そのくらいで冷めたり引いたりする人は私のことちゃんと好きじゃないってこと、知ってるけど、そうなんだけど、知ってるけど。だから本当はSNSも書いている文も隠さなくていい関係の方が健全だって思ってはいるんだけど。