他人の人生

きわめて個人的なこと

キッチン

狭いキッチンの隅っこで、ヤンキー座りしてブログを書いている。IHコンロがヒューヒュー、フライパンがぐつぐつ音を立てている。鶏そぼろを煮ている。チューブの生姜をこれでもかというくらい絞って入れた。

鶏そぼろが食べたかったわけではない。晩ご飯にはレトルトのカレーを食べた。箱ごとチンするやつ。中辛。だから今お腹は空いていない。そぼろを煮ているのは、甘いものが食べたくなって、買っていなかったのだからあるはずもないアイスがあるかなと少しだけ期待してあけた冷凍庫の奥に、いつ買ったか忘れてしまった鶏ミンチがあったから。つまんない。自分が適当に作って、自分が適当に消費するために買い置きしてあった食材も、お腹も空いていないのに夜中に謎の使命感で作る料理も、つまんない。私の最近の生き方みたい。

去年の秋頃までは、マメに料理をしていた。自分のために作る料理も悪くないと思っていたし、深夜にキッチンに立つと寂しさが紛れた。コンビニのご飯にもカップ麺にも飽き飽きしていた。だから自炊をしていた。冬になって、生活に向き合う余裕がなくなって、「食事」よりも「栄養補給」がメインになった。ウィダーをたくさん買い置きしていた。

そして、今。滅多にご飯も炊かなくなった。何故か、キッチンに立ちたくないのだ。包丁もまな板も見たくない。以前はあれだけ心を無にできて良いとひたすら野菜を切っていたのに、今はちょっとした野菜も買わない。野菜を摂らなければと申し訳程度でよく買っていた袋入りのキャベツの千切りすら買わなくなった。

自炊をしていた時期、自炊に対して褒められることが多かった。弁当を作って行くと偉いねと言われたし、一人暮らしなのに毎日ご飯作って、ちゃんとしてるねとも言われた。嬉しくも誇らしくもなかった。私は料理が大好きではなかった。生きるための自炊をしていただけだ。コンビニ弁当に飽きたから自分で作っていただけだ。だから、偉くもなんともないし、凝った料理など作ることはできない。ほんだし入りの味噌汁や、麺つゆで作った煮物、焼き肉のタレで炒めた野菜、ゆでたまご、鶏そぼろ。

私の趣味は、料理ではない。

私の特技も、料理ではない。

私にとって料理はきっと義務みたいなものだ。

なんだろう、上手く言えないけれど、私には「義務」がとても多いと思う。そのせいで自分もまわりも苦しめている気がして、たまにすごくしんどい。自分にとっての義務が多すぎて辟易しちゃう。

私、鶏そぼろ、明日食べるんだろうな。腐らせないように、できるだけ早めに消費するんだろうな。馬鹿みたいに沢山できた鶏そぼろ。きっとそのためにご飯も炊くのだろう。明日の義務ができてしまった。どうしてこんなにモヤモヤするのだろう。大きな悩みもないし、睡眠時間も確保できているし、毎日それなりに笑って過ごしているのに、どうして夜中になるとこうなってしまうんだろう。

こないだ、心を許しすぎている相手に、「強欲だね」と言われた。言われた瞬間になんとなく腑に落ちた。私は強欲なんだ。幸せならば幸せでそれが怖くて足りなくて、いつも何かを疑っていないと心が安まらないのだ。まだ二月なのに来年の運勢を知って来年があまり良くない星回りだと知った。知ったその日から来年の不幸について考えている自分の頬を引っ叩いて、今を真正面から見ろと告げたい。不要な義務ばかりに気を取られて、本当に大切なことを忘れている。向き合わなければならないことは、もっと他にある。

お腹は空いていないけれど出来上がった鶏そぼろはそれなりに美味しそう。ヤンキー座りって結構疲れる。