他人の人生

きわめて個人的なこと

今夜でっかい車にぶつかって

なまぬるい春の風が吹いていて、なんとなく気が滅入る一日だった。夜は酷く雨が降っていた。弱い春の嵐。気づいたら三月ももう半ば。

ベッドに仰向けになって、サニーデイ・サービスの「春の風」を流す。【今夜でっかい車にぶつかって死んじゃおうかな】って出だしが春の気持ちを一言で表していると思う。どこか懐かしくなる。

この前入籍した古い友人のSNS。「昔好きだった人の夢をみた」とある。続く文面から、昔好きだった人とは、私も知っているあの人のことだろうと思う。私もその人が好きだったから。でも、その子と私の「好き」は違ったと思う。私の好きはラブではなく、依存的な何かだった。だって今でもその人に希望を感じているから。その人とは高校卒業以来会っていない。連絡先も知らない。どこで何しているかも、生きているかも分からない。きっとこの先も会うことはない。それなのに友達だったたった十年の思い出を美化して美化して美化して大事に持っているの、馬鹿らしい。馬鹿らしいけど、そんな美化された思い出って、間違いそうになった時に、間違わないで済む抑止力になる。彼に恥じない生き方をしたいと思う。そんなのも馬鹿らしいけど。生きてきた綺麗な面だけ見れば、私の人との出会いは素晴らしく完璧で、百パーセント人に恵まれてきた。その出会いをいつも春にリセットして、リセットして、リセットして、リセットばかりで、いつのまにか人との繋がりがどんどん減った。

春は気が滅入る。毎年春は体重も増えるし眠れなくなったり眠りすぎたりしてしまう。別れがすぐそこまで来ている。恋人は達観している。私は珍しく感情的でない恋愛をしている。恋人は、私が小学校に入学した時にはもう中学生だったのだと考えると、経験の差がありすぎるなといつも思う。私はずっと子どものまま。触れると満たされるんだけど、何故かすぐ足りなくなる。お互い言わないけれど、私たちはさよならを意識し過ぎて生き急いでいる。もう恋愛なんて出来ないだろうと思っていた二年前の自分が卒倒してしまいそうなくらい、さらっと始まった恋愛。ただの恋愛。将来とか結婚とか現実とか、そういうのが現れない楽しい恋愛。人生のオプションみたい。まあ、人生のイベントなんてオプションだらけですけど。気軽で手軽で少し悲しい。今とても寂しいと感じるのも、いつも足りないと感じているのも、全部春のせいにしていたい。きっと春だから。