他人の人生

きわめて個人的なこと

祖父と五十万円

結婚したい、というよりも、結婚式をしたい、というよりも、ウエディングドレスを着た姿を祖父に見せたいだけだった。祖父が元気で生きているうちに結婚式を挙げたかった。相手もいなかったくせに。もう祖父はいない。私の邪な結婚、いや、結婚式への願望は、「両親が元気なうちに晴れ姿を見せたい」に変わった。ずっとそういう歪んだ願望の形だ。結婚願望というのが正直まだわからない。

そういえば、おじいちゃんからのお金預かっているからね、と、両親に言われたのがついこの間。亡くなった祖父が、孫たちに分配していたというお金。10年近く前に従姉妹の結婚式でお祝いのお金を渡したから、同じように私の結婚式用にも、と、準備をしていたらしい。そんなこと知らなかった。私の結婚のことなんて話題にのぼったこともなかったし、期待する素振りもまったく見せなかった祖父。それなのにお祝いのお金を準備していたなんて。私は結婚式を挙げる予定は今のところないし、もう祖父は五年前からこの世にいない。この先直接「ありがとう」って、一生言えない。

未だに後悔することがある。何に対しての後悔なのか分からない。結婚できないことについて、誰が悪いとかでもないし、後悔しようがないことだとは理解している。それでも、綺麗な姿で、大切な人の隣で、幸せを盛大に示したかった。見て欲しかった。喜ばせたかった。安心させたかった。こんなに大きくなって、生涯を共にしたい人と出会って、皆に囲まれて祝福されて幸せだよって形として見せたかった。なぜだろう、なぜだか説明できないけれど、私はそれを、ずっと祖父に見せたかったのだ。

私は私の幸せのために生きているつもり、だけど、たまにそれで良いのか迷ってしまう。もしかしたらとんでもない親不孝者なのかもしれないと悩んでしまう。親も親戚も、私の自由を「私そのもの」として当たり前のように受け入れてくれるから尚更だ。押し付けられない、干渉されない、でもちゃんと幸せを願われていると感じるから、余計、身勝手な自分が後ろめたくなってしまう夜がある。最近、適切な幸せ、みたいな言葉に弱い。上手く言えないけど。