他人の人生

きわめて個人的なこと

嫌われたくない、でも、好かれるのってとてもこわい。

頑張りたい、でも、天井を自分で決めつけてしまっている。

話し相手が欲しい、でも、ひとりで生活すること以外を考えられない。

強くありたい、でも、強くなりすぎたくない。

生理痛が酷いとき、運が悪い月だったと思うしかない。全然へっちゃらな時もあるし、動くのも一苦労な時もある。そのときまで分からない。解決法は祈ることと耐えること。

寝ても覚めても体が重い。横になっても縦になっても腰が痛い。お腹も痛い。肩凝りも酷い。浮腫んだ足が痛くて眠れない。きもちわるい。吐きそう。でもずっと空腹感がある。頭が痛い。血が足りない。血の気が引くという感覚がリアルにわかる。集中できない。何故かずっと泣きたい。

今回は最悪だ。運が悪かった。そう思うしかない。何事もないような顔をして仕事に行って、ニコニコして、元気だね〜と言われてしまう。正気じゃない。こんなに血をダラダラと流しているのに、こんなに体も心もめちゃくちゃなのに、誰にも見えないなんて、正気じゃない。

この体のシステムはいつまで続くんだろうなと思う。もう令和なのに、こんな理不尽な体内システムは残り続けて、月に一度苦しんだり苦しまなかったりして、その度に情緒も上下左右にぐわんぐわん揺さぶられて、それをコントロールできないがために「機嫌の悪い人間」みたいに思われて。

きっと私よりも苦しんでいる人がいるだろう。起き上がれないくらいに辛い人もいるという。だから私なんかはまだ軽い方だとはわかっている。それでも辛いのは辛い。あとどのくらい耐えれば良いのだろう。この先必要になるのかもわからない準備を、繰り返している。

自分の体内にいのちが宿るという不思議が、まだ自分の中で不思議のままだ。その不思議が理解に変わって現実になれば、きちんと受け入れることができるのだろうか。

ここ数年、新しいものばかり求めてきた。具体的には答えられない、ただただ「何でもいいから新しいものが欲しい」と手を伸ばしてきた。その結果、今私の手の中にあるのは何だろう?変わらずすっからかんではないか?二兎を追う者は一兎をも得ず、最終的に何も残らない未来を想像して震える。

目の前の人を大切にするのは、勇気が要る。大切にされると、息苦しくてたまらなくて、自分は相手に同じだけ返すことができるのか不安になって。安心が欲しくて、拠り所を分散させたくて、新しいものを次々と求めたけれどそれも何だか違うし。いい加減、同じ方向を向いて頑張ろうって言える相手がそう簡単に見つからないことくらい納得したい。いい加減、私のような注意力散漫で自分勝手な人間を無条件に愛してくれる人間が現れるなんて夢は捨てたい。いい加減、自分はまだまだ頑張れるなんて思考やめて、頑張りすぎないでいいよって諦めたい。どうして私はこう、諦めが悪いのだろう。世界は平和になるはずだよって願うのだろう。優しい人は報われるよって信じるのだろう。往生際が悪いから、幸せを諦められない。

いつか伏線を全て回収できるだろうか。体のあちこちが痛くて眠れずにこうして垂れ流したジメジメした「言葉」と言っていいのかわからない怨念みたいなものが、私の人生の糧になるのだろうか。一度弱音を口に出したら止まらない気がして、もう誰にどうやって伝えればいいかもわからなくて、こんなところに書いてしまうどうしようもない人間。みんな、ちゃんと弱音吐けてる?大丈夫?