他人の人生

きわめて個人的なこと

よしなしごと

「食む」という言葉が好きだ。はむ。神社の砂利を踏みしめながら、なぜ人は新年に詣でるのだろうかと不思議に思った。150円の賽銭でありえないくらい欲張りに願った私を許して欲しい。考えてみると一人での初詣は人生で初めてだ。あまりに自然で、あまりに尊い、ひとりの時間。砂利を踏みしめる。誰の何を願おうと勝手だ。こころに苦く引っかかる思い出を増やすくらいならば、預けて忘れてしまった方がマシなのかな。よく分からない。

 

自分は絶対に誰のものにもなりたくないのに、好きな人は絶対に自分のものにしたいから、生きていてずっとちぐはぐだ。「ちぐはぐ」という言葉は響きから本当にちぐはぐで良い。君のそういうところが相手を駄目にするんだよと何度叱られたのか。面倒くさがりだから何でも許してしまう。人を甘やかすことでしか見返りの優しさを享受できない錯覚を手放すことができないでいるからこんなことになってしまっているのだろうと思う。起き抜けに何も言わず煙を吐く丸まった背中を独り占めした布団の中から見ていた。哀愁。煙を眺めていたら、一年前に夜中の港でよく眺めていた工場の煙のことを思い出した。「エモ」はもう完全に理解できなくなった。フィーリングでエモをつくって書いていた頃は、まだ私にも恋をする感性が僅かに残っていた。今は月の位置と色を観察するのが日常のたのしみ。呼吸が浅くなった時にはビル谷の底から空を見上げる。いきものがかりの「真昼の月」。いきものがかりの曲の中ではあまりメジャーではないかもしれないけれど、私は山下さんの書く詞がとても好きだった。

 

これまで頑なにやってこなかったマスカラとペディキュアを塗るのが日常になった2022年を思う。付き合う人が変われば思想が変わるし、日常生活も僅かに変わっていく。住む場所を変えて、気持ちを変えて、一緒にいる人を変えて、生活を変えて、2023年、私の芯はいまどこにある?