他人の人生

きわめて個人的なこと

HUG

Amazonコルトーショパンエチュード集やパデレフスキ編ショパンバラード集をおすすめしてくるのは、きっと数年前にコルトーショパンバラード集を購入したからで、何故それを買ったかというと、数年前のクリスマスに当時付き合っていた人にプレゼント何がいい?と聞いたらコルトー版のショパンバラード集とリクエストされたからだった、クリスマスプレゼントにコルトー版のショパンのバラード集ってチョイスがどうしてかとても好きだと感じた、ここまで思考を一気に巡らせてしまったことに気づき、慌ててストップする。懐古しても時間は戻らない。戻りたくもない。私には今の生活があり、今の自分に満足している。未練もない。エモもない。ていうか数年ぶりにおすすめしてくるAmazonなんなん。私はショパンが弾けない。疑心暗鬼になりながらなんとか鍵盤をたどることができる曲はいくつかある。でもそれは弾けるとは言えない。技術がない。だから私にそれらの楽譜をおすすめされてもどうしようもない。

 

家に帰ってご飯を食べて気付いたら床や布団で寝てしまっている日々を繰り返して、なんだか少し停滞しているような気もする。忙しくして疲れていたら、寂しさを感じることもないし眠る前にあれこれ思い悩むこともないけれど、感情も思考も簡素化されて言いたいことの半分も言えない、うまい言葉がひとつも出てこない、ラインの通知が溜まりまくっている。このまま仕事を生活の真ん中に置いていて良いのだろうか。ワークライフバランスの意味を理解していない。

 

苦手な人がつくった歌を好きな人が歌う世界線に生きている。声で、歌で、人を狂わせることができるのがすごい。でも、その歌をつくった人は苦手だ。元カレに顔が似ているからというふざけた理由で苦手だ。大学生の時それを友達に打ち明けたら笑われた。確かに笑ってしまう理由だ。ふざけすぎている。でも、人と作品は別物で、私は作り手が嫌いでも作品が良ければその作品が素敵だと言うタチだ。これには賛否両論あると思う。「指先天使、心は悪魔」って言葉、小さい頃からずっと心の片隅にある。人の心に響く演奏をするのにとても性格が腹黒い人。性格最悪だったとしても私はその人が持つ輝きや才能、努力の証に惚れ込んでしまうどうしようもない人間。ただの良い人が作るものなんてつまらないってどこかで誰かが言っていた。ただの良い人にすらなれなかった私は、自分が贈ったコルトー版のショパンバラード集のページがへろへろになるくらい弾き込まれていることを望んでいる。私には出せない音を出せるその人をどうしても憎めない。

 

昨日も全く関係のないところで右折してしまって帰宅に時間がかかってしまった。職場から自分の家までのたった十分の間ですら道を間違うのだから、28年生きていたらそりゃあ何度でも間違えるだろう。今心にある喪失感は何なのだろう。寂しいと思えない自分が寂しい、みたいな感覚。正解とか不正解とかひとつひとつ考えるからしんどくなってしまうのか。過去に書いたnoteの記事を30程消した。寝たら明日が来てしまう。