他人の人生

きわめて個人的なこと

よしなしごと

よしなしごと。浮かんでは消えていくあれこれ。

夜が明けた。カラスがけたたましく鳴いてる。

眠れないのはいつものこと。今日って土曜日らしいね。

ここ数日アマプラでずっと韓国ドラマ観てたら、日常生活で聞こえる会話が韓国語に聞こえてきた。

異性を紹介されてしまった。今までこんなことなかったから、これからどうして良いか分からない。合コンも街コンもマッチングアプリもやったことなくて、そんな人間がこんなことになるなんて甚だおかしい。

かと言ってばちばちの恋愛結婚を望んでいるわけでもないし、運命とか奇跡とかそういうのは全く信じていない。ただ、互いにほどほどに大切にしあえる相手と一緒に、安全な場所にいたいだけ。星が綺麗な夜にみてみて!!!って言いたいだけ。疲れた時におつかれ!!って言われたいだけ。寒い日にココアを淹れてあげたいだけ。それだけ。でも、たったそれだけがテストで100点取るより難しくなる、それがアラサーというもんよ。

こんなに停滞しているように見えて、ちゃんと世の中は進んでいるから驚きだ。自分はなんにも変わってない。その場にいるだけ。進みも戻りもしていない。最近やたらと出会う人と、何となく疎遠になってしまった人。時が進むというのは、人間関係が変わっていくということだ。

丸いフライパンで綺麗な卵焼きを焼けるようになった。「けらんまり」去年の今ごろ覚えた韓国語、卵焼きっていう意味。去年の今ごろはとても進んでいた。猛スピードで進んで自分がどこにいるか分からなくなってた。バグってた。今はもうあんなことできない。ずっとハイだった。寝ても覚めても興奮の中にいて、進むしか選択肢がなかった。毎日泣いたり笑ったり怒ったり、パワーをフルで使い尽くしていて、きっと今はその返済をしてるんだと思う。一年越しで休んでる。

私は計算高いから、メリットがないことはやりたくない。それが挑戦だろうと、自分が潰れると完全に分かっていることに対して一歩踏み出そうとは思えない。今の自分を守れるのは自分しかいないから、全部捨てて飛び込もうと思えない。こわい。正直ビビってる。これから先こうやってビビって尻込みしてしまうことが増えていくんだろうなと思って、それに嫌気がさしてしまう。

もう、自分にあまり期待はしていない。自分の身の丈は理解しているつもりだし、大きな希望も持っていない。でも、期待はしていないけど見捨てたくはない。マスクを外した時の顔のことを言われたくない。自分の鼻と口と歯並び、昔から大嫌い。でも誰だって大嫌いな自分と一緒に生きてるんでしょ?

深夜のコインランドリー通いをやめた。夜中に出歩くの危ないよって言ってくれた人がいて、何故かそれがすんなり心に染み込んでしまった。咎めるとかではなく、心配から出た「当たり前の助言」って感じでなんかとても良かったから、素直に従おうと思えた。男も女もないところで大切にしてもらえるのに弱い。

将来が楽しみになったり絶望的になったり、そんなアップダウンを繰り返しながら生きている途中。夜更かし友達がどんどん減ってきている気がして、しかるべきところまで来ているのだと感じている。やっぱり「人」という字、みたいに支え合える、隣にいられるパートナーが欲しい、と思う。自分にそれが向いているかどうかはさておき。あまりにもそういうのが苦手だから、就活みたいに分析と研究から始めようと思って、「好きなタイプ・好きになりがちなタイプの人」と「一緒にいたい・付き合いたいタイプの人」の特徴を書き出してみることにした。そしたら何となくうまくいかん理由が分かってきた。「好き」と「付き合いたい」がイコールじゃないのだ。あと、相手と自分の方向性が乖離している気がする。知らんけど。

よく分からんことばかり書いてしまった。朝になったので寝る。

キムチと昨日のこと

さっき、ずっと冷蔵庫に入れていたキムチを食べたらしゅわしゅわしたんだけど大丈夫かな?一口食べて「ん???」と思ったんだけど、どうせ一口食べちゃったしな、と思って最後まで食べた。お腹壊すくらいなら良いけど、苦しんでのたうちまわりたくはない。私は本来どちらかというと賢い部類に入ると思うんだけど(自分で言うくらいには賢くない)、たまに物凄くお馬鹿さんになってしまうので、一口目で「あれ?」と思っても食べるのをやめない、みたいなことをしてしまう。子どもの頃、「あれ?この納豆、ちょっと黒い...?」と思いながら全部食べて、数時間後にのたうちまわって点滴した。自業自得。今回はそんなことになりませんように。キムチは発酵食品だから大丈夫だよね。私の胃腸よ、頑張ってくれ。

昨日は、自分の存在意義についてずっと考えていた。貰ったありがとうが心の奥深くに染み込んで少しだけ泣いてしまった。優しい人に試練なんて与えなくて良いのにと、いるかも分からない神様をちょっと憎んだ。誰かの役に立つことが苦ではないけれど、それが本当に誰かの役に立っているのかは分からないよなってこと。人は安心のために情報を欲するということ。自分も安心のために情報が欲しいと思ったこと。でも取材の電話にそれどころじゃないよって一瞬でも思ってしまったこと。それが声に出ないように頑張った、その「頑張った」自分に気付いて自己嫌悪に陥ったこと。身近な守りたいものがどこにもなくて、だからそれを他人に委ねているってことにどこかで気付いていること。やっぱり他人を介してでしか、自分の価値は分からない。一生誰かのために生きていければいいのにな。それを偽善とか弱いとか自分が無いとか言われず、自分で勝手に知らず知らずのうちにすり減って気づいたらすっと消えてるような生き方が良い。それが喜びだと疑うことのない日々が良い。誰をいちばんに守る?何をいちばんに逃がす?今、自分の役割はこれだとはっきり言えるけれど、三年後、十年後、私の役割は?守りたいものや人は増えている?もし増えていたら私は自由が減ったと感じてしまう?昨日はたくさんのありがとうを貰った一日だったけれど、私は帰り道に鳴いていた雨に濡れた子猫すら助けられなかった。私を見てみゃーみゃー鳴いていた。ああどこまでいっても無力な夜だなあと思いながら、自分の存在意義についての答えは出ないまま、帰ってしこたま寝た。

昨日のことはnoteに真面目に書きたいけど、頭が働かないからとりあえずこっちに吐き出しとく。

感性が死んでゆく話と、恋の話

うまく言えないけれど、ここ半年、猛スピードで感性が死んでいっているなという実感がある。あまりにも人と話す機会がなさすぎたのが原因のひとつだと思う。思考の回りが以前より1.5倍くらい遅くなった。もともと頭の回転も言葉への変換も遅い方だったけど、更に酷くなっている。あと、文を書く気力がない。はてブロは文じゃないからね。たれ流しだからね。

感性が死んでゆくもう一つの原因は、恋愛からの遠ざかりだと思う。この半年が、おそらく人生で恋愛から最も遠い半年だった。恋愛をしていないだけでなく、恋愛をしようともしない、したくもない、考えたくもない、興味もない、恋愛小説が読めない、みたいな負の連鎖が起こっていた。もともと恋多き人間ではなかったにせよ、ここまで「嫌悪」レベルにはなったことがなかった。そして恋愛に対して「諦め」のスタンスが色濃くなった。きっと好きなのは今だけなんだろうな、これは恋ではなく都合の良さとタイミングなんだろうなって思いながら、恋なのかなんなのかわからない出会いを見送ることってないですか。私は人全般に対してそういう出会い方をしてしまうんです。電車の窓から変わる景色を眺めるみたいに、もうきっと会うことはないんだろうなって思いながら、だからこそ目に焼き付けようと思うような気持ちで、その一瞬一瞬に恋をして、でも目的地についたときに隣にいる人はいなくて、当たり前のようにどんな景色を見たのか忘れてる。今だって思った瞬間に電車を飛び降りる勇気も覚悟も持てないまま今日まで来ました。きっとこれからもです。

私はね、今まで、恋をしていない自分って割と好きだった。気が確かでマトモで落ち込んだり泣いたりすることも少なくて、恋をしていない私は賢い気がしていたから。でも、恋をしていないことと、恋から逃げていることは違うんだなと最近は知った。冷静に判断ができているのか、判断から逃げているのか。賢い自分なんてくそくらえだ。

今後恋をするかは未定だけど、とりあえず筋肉は裏切らないから(?)近頃は週に三回くらい5キロほど走ってる。痩せるかは分からないけど、体力はつくよね。走るのは楽しい。ただ、一歩一歩足を前に出すだけ。自分が走らないと前に進まない。それだけ。シンプルでとても良い。恋をするかは未定だけど、恋に落ちちゃうことはある。たぶん。恋愛ってほとんど事故だって誰かも言ってたしね。とりあえず感性は死なせたくない。Communication is important.

戯言

「出会い」に対して甘えている。自覚はある。そういうのに対して、私はくそほどポンコツだ。そして努力をしようともしない。それなのにいつかは結婚したいなどとのたまっている。老後に一人は寂しいなんて不安もある。理想に対しての行動が伴っていない。それはよく分かっている。でも私は「出会い」が欲しいんじゃなくて、多分「人と人の対話」を求めてるだけなんだと思う。これも甘えだと言われれば否定はできないけれど。

まわりのお節介にも聞こえる助言や良かれと思っての言葉、世間話の一つとして「恋愛」「結婚」が話題に上がる度に謎にかかるプレッシャー等をのらりくらりかわしてきたつもりだったけれど、真正面からぶち当たるとぽんこつなのでかわせない。どうしよう。私は状況についていけてないのに、何故か「良い人」を紹介されることになってしまった。もしかしたら本当に良い人なのかもしれないし、会ってみたらめちゃくちゃタイプかもしれないし、意外と気が合うかもしれないし...と言い聞かせてみるけれど、なんか心にすとんと落ちていかない。本当にダメダメ。どうして私なのだろう、とか、出会いを求めてるように見えたのかな、とか、そんなに隙があったのかな、とか、疑問と反省と色々がごちゃ混ぜになって追いつかない。

一度失敗をしないと理解が出来ないタチなので、ああきっとこれが一度目の失敗になるのかなあと思う。そういう考え方すら失礼。でも本当にそうなのだ。同じような失敗をしないと学ばない。しいたけ占いに「うまい話に騙されるな」って書いてあったのはこのことか?と疑いまで持ってしまう。気楽に考えれば良いんだとは思うけど、もう恋愛みたいなやつをたくさんはしたくない。必要以上に人に迷惑かけたくない。自分のポンコツなところこれ以上見出したくない。気丈でいたい。相手を落胆させたくない。全く知らない人と会うのって怖すぎる。

考えてもどうしようもないから、その日が来るまで一旦忘れよう。なるようにしかならない。どっちにしても私はポンコツだからヘラヘラするしかない。当日、相手が私を一目見て「タイプじゃなかったわ!!あばよ!!」って逃げ出していく可能性もあるんだもんな。それだったら逆に気持ちいいし笑えるけどね。

怨念でしか書けないっ

何もないのにめちゃくちゃ忙しい。何故かは分からない。 日曜はTOEICを受験した。相変わらず時間が足りなかった。パート6は残り3分くらいで適当に塗りつぶした。結果が出るのがこわい。 仕事がめちゃくちゃだ。色々とはちゃめちゃだ。いい加減ここから抜け出したいなと思う。宿泊業からの転職は20代のうちに!っていうワードをよく見かけて気が滅入る。正直もうよく頑張ったんじゃないかと自分で思ってしまっている。自分がそれほど社交性のない性格だということをわかっていて、だからこそ訓練の為に接客が必要だった。仕事だと思うからやれた。本来苦手なことをそれなりに得意になるまでやった、それでハナマルじゃないか。よく「気分や性格で仕事をするな」という言葉をきく。「大人しい性格だから大きな声で挨拶できないとか、引っ込み思案だから良いサービスができないとか、その日の気分やモチベーションで仕事のムラがあるとか、そういうのはやめなさい」っていうやつ。私はそれで言うならとてもよくやっていると思う。休日なんか、レジで「袋いりません」の一言くらいしか声を発さないくらいの人間なのに毎日ペラペラペラペラ喋ってよくやってます。ハナマル。もういいんじゃない?休んで。と、第三のお茶が言ってる。第三のお茶って第三のビールみたいだね。どうでもいい。 ここ数日、何だかよくわからないまとまらない下書きばかりが溜まっていて、まとめられなくて、とりあえず色んな下書きを寄せ集めて一つだけnoteを出した。ちょっと納得いかない出来だったけど、あんまり一つ一つこだわってても全く書けなくなりそうで。コンスタントに書かないと何も書けなくなっちゃうからね。ていうかある程度の怨念がないと書けない。最近は怨念どころじゃない。忙しすぎる。何もないけどめちゃくちゃ忙しい。 あと最近はなんかよく分からんままにジムに入会してしまった。完全に運動不足だから、行くのは少し楽しみ。忙しいと言いつつちゃっかりジムの入会手続きだけは済ませてしまった。改行がなくて見づらい。おわり。

but then

眠れないのは自分のせいじゃないと思う。でも、他人のせいでもない。眠れないという事実があるだけで、ただ、それだけだ。もう8時を過ぎてしまった。

星野源オールナイトニッポンをひたすら聴いていた。ラジオってこんなに笑えて楽しくて気分が晴れるんだなと思った。星野源三浦大知、YOASOBIの二人が素敵な人たちなのだということがわかる回だった。デモワングランプリの一曲一曲への四人のコメントがプロ精神と愛に溢れていて聴いているだけで嬉しかった。まったく違う方向へ進む人々が同じ目線で物事を見ようとするときに、新しいものがうまれるんだろうな。世界に才能は溢れていて、同じテーマでも考え方もアプローチの仕方も違って、「あいみょんになりたい」と歌っていたあの人もあいみょんとは違う魅力をバチバチに放っていて、だから星野源に選ばれたのだろうなと思う。

noteのこと、好きな文を書く人の更新がなくなって、もうあんまり開かなくなってしまった。とりあえずその人のアカウントが残っているうちは登録解除しないんだろうなってくらいの、そういう最後の砦みたいな繋がり。前みたいにタイムラインも追ってない。ツイッターとの連動をやめたら馬鹿みたいに平和になった。そうか、ネットで出会うってこういうことなんだなと思う。いつのまにか消えちゃうよ、みんな。知らないところでしあわせになっていて欲しい人がたくさんいる。そういう愛する人たちのことは存分に書いた。過去を振り返る文は今は気分じゃない。スキは等しく嬉しいけれど、それでも特別なスキがあることは否定できない。去年の今頃、確実に自分を救ってくれていたのは尊敬する人からのスキだったと思う。良し悪しを自分の目で決められる人。こんなこと言うのは失礼かもしれないけど、多分頑固で自分とよく似てた。

ここ数日、嬉しい報告が立て続けに舞い込んできて、心がじんわりあたたかい。幸せになるべくして生まれてきた私たちが幸せにならなくてどうする。末永くお幸せに、できればずっと笑っていてね。人の幸せはどうして涙が出るほど嬉しいのだろう。本当は今すぐぎゅってしておめでとうって言いたいのにな。一緒に飛び上がって喜びたいのにな。ラインや電話だけじゃ全て伝わらないのがもどかしくて、早く会いたいなと思う。

自分が自分でいる/自分は自分でしかいられないことに対して諦められない往生際が悪い自分はずっと居る。長所も短所も「自分らしい」もの全てが面倒だ。愛嬌、そして、許す・許される愛情を持ちたかった、もう何年も前から。あの人の人生の一大事を私が笑い飛ばした時みたいに、きっと誰かが笑い飛ばすくらいの小さな悩み。次は福岡っぽい、それとも脱・九州か。フラグばかり立ってそこに私の意思はない。あの人みたいに、結婚控えてるんで、とか、彼氏や家族のこともあるんで、とも言えない。守るものがなにもない。守りたいものも。良い時も悪い時も、生きてるんだから、生きなきゃ仕方ないね。地元の方言の「ばってん」は、but then から来てる、なんて小洒落たことを言ってたの、誰やったっけ?

こういう日もある

どうすればいいんだろうなーって、もう半年くらい考えている。無気力とは少し違う、でも行きたい方向もなくて、どうでもよくって、でもどうでもいいなんて言えないからへらへらしながらふらふらしている。先のことなんて一つも分からないのに白黒つけることを強要されるのも辛いし、どんなに頑張っても、それだけだ。中途半端に自我があって、中途半端に自信をつけた。毎日が消費されていく。気づけば2021年が半分過ぎようとしている。このままでいいの?といつでも思う。このままでいいの?でも、何が?何かを変えるべきなの?変わるべきなの?何もしたくない、は、許されないの?満たされているはずなのにどうしてこんなに孤独なんだろう。楽しいはずなのにどうして抜け出したいんだろう。ほどほどでいたいのにどうして詰め込んでパンク寸前になってしまうんだろう。木を見る、森を見る、根っこは見てる?土は?木々の間から見える空を眺める余裕はある?優しい気持ちは思い出せている?

投げ出して座り込んでしまいそうな時にわざと大きな声で冗談をとばして笑ってしまう。その場の感情はやり過ごすことができるけれど、一人でいるときの口角はずっと下がったままだ。私の存在はどこだ?っていつも考えている。いつもどこにいても借り物みたいで、私の存在って本当にどこなんだろう。

ふつーに体調が悪い。多分。上手く言えんけど、数ヶ月前と違う。でも何が悪いか説明できない。そんな日々の中で、ふつーに体調が悪い、と、同僚が相談のような世間話のようなテンションで打ち明けてきて、あ、私も同じだわと思ったけど言わなかった。不調の内容をグーグル検索してみる。ネットで検索してもちゃんとした病名がつかないなんて四年前から知っていたことなのに、やってしまう。こんな世の中だから、大したことなさそうな理由で病院に行くのも憚られる。それに、私は病名が欲しいわけじゃない。病名をもらったって、そんなのどうしようもない。同じ生活を続けるだけ。なんとなく体調が悪いっていう予感というか自分の体調への意識って大切だと思う。何かは分からないけどメンタルにきている、何かがやばい、って時には大体生理が止まる。食べても食べても満たされない。ドカ食いが酷い。かと思えば一日、夜まで何も食べないこともある。眠りが浅い。寝起きが怠い。ぼんやーりする。でも、何となくでも「あれ?」って思えてるうちは大丈夫だし、自覚があるってことだ。こういう不調は誰でも抱えてるだろうし、誰かに相談したところで解決しない。でも一人で持っておくのは少し不安で、どうしようもない。

YouTubeで謎におすすめされた一ヶ月食費一万円自炊チャレンジしてる人の動画のコメント欄で、投稿主さんが「すごいね」「がんばってるね」「美味しそうで栄養もあって素晴らしい」「親世代です。若い人がこうやって頑張っているのをみると元気をもらえます」って口々に褒められているのを眺めて泣いちゃった。こういう悪意のない優しい世界の中だけで生きててよ。もっともっと、この地道な生活を続けていることを褒められていてよ。そう、こういう「生きる作業」が丁寧にできる人のことを羨ましく思う。珍しく美味しくできた肉じゃがも一人で食べるには飽きてしまって、もう三日も冷蔵庫に眠っている。コンビニのご飯も食べたくなくて、でも自分のために作った料理を食べる気もしなくて、プレーンヨーグルトにドライフルーツをのせて食べる。ひたすら、ドライフルーツを噛む。ほんのり甘い。甘い。甘い。もうこれだけでいい。健康とか栄養とかカロリーとか、今は考えたくない。本当はどうでもいいです。なるようになるから、自分で決めても人に決められても、なるようにしかならないから、もうどうでもいいんです。でもできれば、今は変わるべきだとか変えるべきだとかそういうことを考えたくないんです。この短く長い人生の中で、じっとそこにただ存在して息をしている時間が少しくらいあってもいいでしょうって思うんです。どんちゅーしんくそー?