他人の人生

きわめて個人的なこと

いつの下書き???

とてつもなく喉が渇いている。だけどどうしても水分が入っていかない。「また連絡するね」と「行けたら行く」と「なんでも相談する」の確率なんてほぼゼロに近い。まともな気持ちで文は書けない。

 

「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないものなのよ」

 

もしも恋愛を認めなければ、今もふらっと会えたのかもしれない。手に入れたいと思うことはとても暴力的だ。人を傷つけてしまう正直さ、平熱の高さ、後頭部の寝癖。

 

絶対に幸せになってやるよ、だから達者で。

 

その狭い世界でずっと生きて、幸せを信じて疑わないキレイな心で生きていたいし、生きていてほしい。傷付かないでね。明日も会えるくらいの軽さでさよならしようね。

 

生きていく場所を選ぶ賢さを持て。人任せにしていたら、心が満たされる瞬間を忘れてしまった。どうしても人の目は気になるし、憎まれたくないし、他人の感情に振り回されるし、過剰な責任感と義務感で自分の首を絞めてしまうけれど、自分のそういう傾向を自分自身が理解しているから、今は前よりも少しだけ強い。私が幸せにならないなんてありえない。

 

 

swim

近況。タイトルは昨日書こうとしてやめたnoteのタイトル。下書きも消しちゃった。書きたかった内容も忘れてしまった。

 

仕事を辞めようと決意してから半月が経った。未だに退職の決意を上司に言えていない。というか、退職を決意してから上司に会っていない。月に一度会えるか会えないかだ。次に確実に会えるのは15日以上先。早く言いたい。だけど、電話やメールではなく、直接言いたい。早く言わなきゃいけない。次の人に仕事を引き継いでいかなければならない。私は、少しずつ綴じていく。自分のすべきことと誰かに渡すものを分けて、綴じてゆく。

辞めると決めてから、仕事の手は抜いていないけれど、確実に「半年後自分はいないから」という線引きのようなものが芽生えていて、どんなに懸命に取り組んでも少しだけ虚しくて寂しい。これまで築いてきたもの、評価されたこと、うまくいかなかったこと、中途半端になってしまっている案件。未来の話が積極的にできない寂しさ。そういうものを全てひっくるめて、それでも糸を切るのならば今だと思った。自分の決断と選択を愛している。いいよ、十分頑張ったよ。自分の力量以上のことを経験させてもらった。信頼して任せてもらった。今は随分と慣れて楽しいし、もうチームを動かすことの楽しさを知ってしまったら一般社員には戻れないなという気持ちすらある。だけど、ここまでくるのに相当苦労した。去年一年は地獄だったし、去年の夏頃に耳が聞こえづらくなって、謎の高熱と胃腸炎を無理矢理一日で治して出勤したときに、ああ私はもうだめだと思った。一旦立ち止まらないと気づかないうちに壊れると思った。割と抱えるタイプだ。私の良くないところ。仕事をうまく振れない、信用して任せられない、後先考えず自分の体力を過信してしまう、人前でかっこつけてしまう、頼れない。

 

その後数ヶ月かけてなんとか持ち直して、今に至る。少しマトモに思考ができるようになって、やっと退職を決断できた。

 

今の仕事はなんだかんだ言いつつも楽しかった。向いているかと言われるとあまり向いていない仕事だったかもしれないけれど、やりがいもあったし、何より周囲に恵まれていた。文句や愚痴を言いたいわけではない。楽しかったし、その分、シンプルにつらかった。いつも何かしらに不満があって、それを燃料に働いていた。いいの、ハングリーじゃないと食べようと思わないし。何を燃料にしてもいいんだよ。よく頑張ったよ。心身ともにゴリゴリ体育会系でのし上がってきた。本当はそんなの望んでいなかったけれど、残念なことに私はゴリゴリ体育会系に適応できるタイプだったのだ。無理だと言いながらしぶとく走り続けてこれてしまった。最悪だ。

 

まだ上司にも言えていないのに、退職の気持ちは日に日に固まっていくし、退職日も近づいていく。

 

けっこう怖い。新卒からずっと勤めてきた会社だ。退職も転職もしたことがない。辞めた後のこともふんわりとしか決めていない。社宅を出てから行くところがない。実家に帰るのか、どうするのか。できるだけ迷惑をかけないタイミングでと思って色々の区切りがついた時期を選んでいるけれど、それでも職場の人に申し訳なさもある。板についてきた仕事、慣れた環境、助けてくれる同僚、安定した仕事と増えてきた収入、手に入れたポジション、そういうの全てを投げ捨ててまで次にすることが大事かと問われたらそうでもない。なんでもよかった。誰でもよかった。右手の手相、運命線が真っ二つにわかれている。もしかしてこの決断はこの線と関係がある?手相見れんから知らんけど。

 

二十代後半の私はどこか色々を諦めたところがあって、捨てられるものをことごとく手放そうとしてきた。一寸先も見えない人間って、失うものがなにもない。人生なんでもありで、こんなちょっとむちゃくちゃな決断も旅行先の空港で思いついてそのまま決めちゃったりする。別に希望がないとか夢なんて馬鹿馬鹿しいとか思っていない。努力すればそれなりに叶うこともあると思っているし、自分のことを信じてもいる。どこにいても何をしても、楽しいことにも苦しいことにも出会うし、それはそれで結構幸せだと気づいている。だけど、根底には「飽きるのが怖い/飽きられたくない」「捨てられる前に捨てたい」「変わらないこと・停滞することが怖い」という恐れがある。ずっとずっと臆病。

 

一人いなくなったところですんなりまわるのが地球です。一人いなくなったところで大して変わらないのが職場です。できるだけ迷惑をかけないようにと作る引き継ぎ書やマニュアルも無意味かもしれないし、私が抱く去る寂しさや申し訳なさも無駄かもしれない。少しだけ感傷的になりながらも、ずっとここにいるよ〜みたいな顔で働いている。これ以上自由なことなんてないと思っていたけれど、まだ自由になりたいと思ってしまうのはどうしてだろうか。愛されたいおばけは旅人になりがちだと言っていたのは誰だった?思い出せない。

 

雑記というのも申し訳ないくらいの雑記

菜の花の黄色が目に飛び込んできた。もう春なんだ。ひんやりした空気の中で、花の鮮やかさが綺麗に映える。季節はちゃんと巡る。私は来年にはこの土地に確実にいない。一期一会の毎日だ。きっともう会わない人、この先思い出さない人、忘れてしまったことも忘れてしまう人。大好きだけどずっと一緒にはいられない人、大好きだけどずっと住み続けられない場所、大好きだけどずっと同じではいられない関係。いつになったら「とどまることが不安」だという病が治るのだろうか。ずっとこのままがいいな、というのが私の口癖で、それなのに「ずっとこのまま」が現実的でないことを誰よりも確信している。「誰のことも信用ならねえ」が、私の心の中の口癖だ。生きるというのは自分の身を守ること。可愛くない、ずっと。

 

あなたもどこか歪んでいると言われるほうが、真っ当だと言われるよりも楽なんだろうなと薄々気づいてはいたけれど、実際そうだった。ああ自分は歪んでいるからこんななんだ、って、どこかすとんと腑に落ちるような、赦されたような気持ちになった。大人になったつもりで、ちっとも私は自分のことを理解していない。最初にくるのはいつも、傷つきたくないという感情。きっと誰よりも傷つきたくないという気持ちは強いと思う。それなのに、自分は不用意に人を傷つける。

 

「真の人間好き」という人間の種類があると思っている。私は残念ながらそうではない。人は好きだ、でも同じかそれ以上に怖い。接客業をしているのに怖い。訓練してもまだ怖い。あとあまり他人に興味がない。そんな私なので、「真の人間好き」を目の当たりにすると溜息が出るほど羨ましくなる。

私は犬みたいな愛らしい性格に憧れているけれど、人に言わせれば我儘な猫らしい。尻尾をぶんぶん振り回して、全身であなたがいないと生きていけないよと表現できればどんなに良いだろう。あっけらかんとした愛情を飼い慣らしてみたい。来世に期待。

 

 

春だからどこかに行っちゃいたくなるよ。白いスニーカーを履いてどこまでも歩いていきたい。春だから走り出したくなっちゃうよ。痛くも痒くもないって顔してるけれど、本当は痛いし痒い。嫌いとか言わないで。大丈夫とか言わないで。私を諦めないで。手離さないで。捨てないで。忘れないで。まあそんなこと一つも言えずに、いつも軽々しい棒読みの「サヨナラ〜」を繰り出すんだけど。頼むから私に何も教えないでほしい。君が言っていた「人参は油で炒めると栄養アップ」みたいなことを、別れた後に思い出してしまうから。

 

 

 

やさしいひと

「優しい人」ってこの世の中に溢れていると思う。でも、「優しい人」ってどんな人なのか正直よく分からない。穏やかなのか、気遣いができるのか、丁寧なのか、他人に興味がないのか。思いやりと無関心は似ている。

 

たくさん心配なことがある。私は周囲の心配ばかりして自分のことを忘れてしまうからよくない。他人の人生、他人の人生、と心の中で繰り返しながらやり過ごす。私が不安になったり悩んだりしたところで何も解決しないんだし。みんな色々起こるよ、人間だもん。でもそれを全て私が抱えようとするのは違う。

 

全然悩み相談してくれないじゃん、と先輩が拗ねていて嬉し可愛かった。ずっと頼りにしている。ずっと背中を追いかけてきた。目指している姿が近い人だったと思う。信頼できると思った。気にかけてくれていることも分かっていた。不満げな先輩に、私、悩みないんですよね〜と言ってヘラヘラ笑ってみた。よくよく考えてみたけれど、本当に言えそうな悩みが一つもなかった。それは先輩が頼りないからだとか言いたくないとかいうわけではなくて、なんというか、言うほどのことなんて何もないなと思った、というただそれだけのことだ。

 

相手は変わらないよ、変わるのは自分。教えてくれたのは誰だっただろうか。

 

その時の一瞬の感情を生かすも殺すも自分次第で、それを言葉にしなければはじめから無かったものみたいになってしまう。未だに私はギブのつもりがテイクテイクテイク。もらってばかりの愛は惨めだ。優しい人は私をダメにする。優しくなくても私は勝手にダメになるけど。狂わずに人を好きになれる人、いるの?

不思議なことに、言葉にするともっと好きになるし、言葉にしなかったらやがて忘れる。言葉はこわい。本物にも偽物にもなる。嘘もまことも作り出せる。大人になってから気づきそうになる前に揉み消す感情が増えたなと思う。初期消火はお手のもの。

 

 

優しい人だ。ずっと一緒にいるとダメになっちゃいそうで、だからいつも深く息を吸うことができない。

 

 

忘れないうちに

・数年振りのまとまった休暇をとって静けさの中でひとりで考える時間をつくったら、久しぶりに「まとも」な考えが浮かんできた。忙しさを言い訳に逃げ続けてきたことと向き合う時がきた。変わろうとしないと変わらない。

 

・働くということは覚悟を持つということだ。覚悟のある人の仕事ぶりはキレが違う。私はどう生きたいのか。生きる上で仕事が大半をしめるのだから覚悟を持ってのぞみたいけれど、命を削るようなやり方は賢くないよなとも思う。日々勉強。貸切状態の温泉で幸せ過ぎる恐ろしさを思った。自分の中で手放すことができないものは何かを再確認して少しメソった。

 

・自分は全てのことに対して「上書き保存」が適用されているタイプだと知った。知識も経験も人との付き合いも、全て。だから新しいことを取り入れた瞬間に古い情報がぽっと消えてしまう。塗り替えタイプじゃなくて積み重ねタイプがよかったなあ〜。何も覚えていないってことが多過ぎる。

 

・好きな人と好きでいてくれる人、どっちを取るべきなんだろう。「遠くの大好きな人よりも近くのやや好きな人だと思っていた私は考えを改めるべきなのか」と呟いたら縄文時代くらいに付き合っていた人がいいねしてくれてて笑った。ずっと認めたくなかったけど、たぶん私たちものすごく感覚が似ている。

 

・仕事をやめる。今までの「やめるやめる詐欺」ではなく、本当に退職する。次に上司に会う機会がある時に話す。たぶん早ければ会うのは五日後。次にやりたいことが何故かすっと浮かんできた。できるできないは分からないし、これから学校通うのかとか現実問題色々出てくるけど、二つのことを同時にできない私はまず今の仕事を辞めないと始まらないことに今更気づいたからそこからスタート。

 

・え、人生ってなんでもありじゃん、ってこと、薄々気づいていた。どこへでも行ける。何にでもなれるかは分からないし、体力とか若さとかそういうリミットは正直なところ誰にでもかかわってくるけど、今ならまだ飛び込めるってことはあって、それは年々少なくなっていく。それならやってみた方がいい。30という節目でやらなければきっともうこの先やらない。そしたら死ぬまで後悔すると思う。

 

・眠い。もう何書いてるか分からない。支離滅裂なことを書いている自覚は少しある。眠い。明日になって読み返したらなんだこれ?となるのだろう。一晩寝ると忘れてしまうタチだから忘れないうちに書こうと思って書き始めたけど眠過ぎるのでおわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

半年間、世界一頼りにしていた人のこと

去年の春から秋にかけて、仕事において頼りすぎていた人がいた。役割としては私が(名目上は)上司だったけれど、年齢も歴も上のその人は心と仕事の安定感があってとても信頼していたし、その人がいれば大丈夫だとなんとなくそう思っていた。当時、頼りすぎて迷惑をかけすぎて申し訳ないなとも思っていたし、自分の立場上本来であれば言ってはいけない、吐いてはいけないであろうことも言ってしまっていたと反省しながらも、そうしないとやっていられなくてかなり甘えてしまっていた。私の安定剤だった。はっきり言える。彼がいなかったら私は壊れていた。

 

秋、その人の異動が告げられた時にはショックで死ぬってこういう感覚なんだなと実感したし、その日も次の日も家に帰ってからは涙が止まらなかった。彼がいなくなるという現実を受け入れられなかった。依存していたし、執着していた。その人なしではやってこれなかった部分が多過ぎてこれからどうすれば良いのか途方に暮れた。

 

私は、仕事を辞めようと思っていた。昨年の春に移った新しい場所がしっかり軌道に乗り、安定したらそのタイミングで退職しようと思っていた。ここまで達成したら退職するという具体的な目標もたてていた。だけど、新しい場所は想像以上に過酷で、簡単にはいかなくて、うまくいかないことばかりだった。就職してから昨年が一番辛くて苦しかった。何より自分の力不足が最も辛くて、自分のせいで皆を泥舟に乗せてしまって苦労させてしまっているのではないかと毎日不安で罪悪感があった。残業続きで体もきつかった。重なるストレスで体にもたびたび異変が起きた。そんな地獄みたいな毎日を少しだけ大丈夫にしてくれていたのが彼で、仕事面でも、スーパーポジティブな楽観的な姿勢にもとても助けられた。私のいないところで「マネージャーを助けてあげてね」って他のスタッフに言ってくれていることも知っていた。私が休めるように仕事を進めてくれたり、私が高熱でダウンしたときも代わりにその日の予定をこなしてくれたりした。困ってどうしよう...ってぼんやりしていたらひょこっとやって来るような頼りになる人だった。人に「助けて」が言えない私が「助けて」を言う前に手を差し伸べてくれる人だった。

 

いてくれないと、無理だった。何がなんでも手放したくなかった。彼がいなくなったら私は壊れると思っていた。彼がいても限界だったのだから、いなくなったら潰れるとわかっていた。失いたくなかった。

 

退職しようと思っていたから、後任を育てなきゃいけないと思っていた。だから私は春からずっと彼を推薦し続けた。新たな役割を持ちませんか?と彼に言い続けた。実際やってもらっていた仕事の内容と同じことをすればいいのだ。役職名をつけるかつけないかの問題だけ。彼が責任者になれば、安心して自分が退くことができるという自己中心的な考えもあった。半年間言い続けて、やっと彼に役職がついて、同タイミングで彼は異動になった。

 

なんなんだよ。焼肉で、大事に大事に焼いていた肉が食べごろになった瞬間さっと奪われるような感覚。悔しくてたまらなかった。腹が立って仕方なかった。私の右腕なのに。ずっと私の右腕でいてほしかったのに。右腕どころか心臓だったのに。無理。やっていけない。直属の上司から彼の異動を告げられたその日は、どうしていなくなっちゃうんですか?????いないと無理なんですけど??????と本人に言っても仕方ないことをぶつけて子どもみたいに泣いた。誰も悪くない。強いて言うならば管理職なのに自分であらゆる管理ができていない力のない自分が悪い。それも分かっていたから尚更悔しかった。失恋でもこんなに泣かないよってくらい泣いたし、本当に絶望的で辛かった。

だけど、彼にとっては栄転で、大チャンスだった。ここで応援できないなんて上司失格だなと思った。こんなに悔しい思いをしながら見送るんだから、絶対に成功してこいよと心の中で呪いみたいなエールを送った。無理なことを言って困らせたり引き止めたりするのはダサいと思った。別の場所に行ってしまった人にずっと依存し続けるのも。

 

数ヶ月経った今、やっとロスを乗り越えたと思う。はじめのうちはダメだと思いながらも、もうこっちにいない彼に泣きながらラインを送ったり、彼がいたらもっとうまく仕事がまわったのになと比べてしまったりした。でも、次第に強くなった。誰かがいなくなれば、いる人でうまくいくように調整ができる、チームってそういうものだし、そんなこと私だって知っていた。いつかは誰かがいなくなるんだし。だから彼が異動になる時にも、いつかは大丈夫になるってわかっていた。もう連絡もとっていない。たまに人づてに頑張ってるよと聞いて、安心している。去年、私の弱音ラインに付き合ってくれたとき、彼の「仕事が楽しい」という文面を見て嬉しかった。めちゃくちゃ嫌だったけど、送り出した甲斐があったと思った。その時、彼はこっちの職場のことも少し心配だったみたいだけど、こっちのことなんて心配せずに今の場所で楽しく仕事してくれ!!!!!!と思った。そして心配をかけるようなふにゃふにゃの責任者でいてはいけないなと思った。もう彼に頼らずに自分で歩くぞと思った。管理職は、管理する仕事。自分の体調やメンタル管理も仕事のうち。

 

半年間、世界一頼りにしていた人。自分の仕事上の役割としては、間違っていたこともたくさんあったと思う。今、冷静になってみれば頼りすぎていたと反省することだらけだ。激務に心がやられて半分おかしくなっていたというのは言い訳かもしれないけれど、仕事上でこんなに依存した人は後にも先にもこの人くらいだと思う。

半年間、世界一頼りにしていた人。場所が変わればただの他人。目の前にある課題が違うだけで、こんなにも関係性は変わってしまう。当たり前のことだ。私の問題は私の問題、向こうの問題は向こうの問題。一緒にいないと見えないことばかりで、もう私は彼がいなくても普通に仕事ができる。何かが起こってもまず冷静になろうと努力して、どうすればいいか考える。ある意味、諦めた。どうしようもできないことはどうしようもできない。自分で解決するしかないから弱音もほどほどにする。体調を崩してもその分の仕事をカバーしてくれる人はいないから、体調を崩さない程度に危ないと思ったらセーブする術も身につけた。また一つ強くなってしまった。私は自分の強さが好きだけど、人に助けを求められない弱さが大嫌い。

 

頼りにしていたよ。一緒に働いてくれてありがとうと思っていたよ。私はポンコツだったからあなたには苦労しかかけなかったと思うけど、自分から泥舟に乗り込んできてくれる人がいるというのは心強いことなんだなと半年間ずっと思っていた。ずっとありがとうと言いたかった。もうこっちは大丈夫だから安心してそっちの仕事頑張ってくれ。半年間、世界一頼りにしていた人へ。表現の仕方の愛が重くてごめん。パワハラじゃないよ。感謝してるよ。

 

でもあなたがいなくなったので、私は退職のためにまた新たに後任を育てないといけません。最悪です。おわり。

 

 

 

 

 

しらんけど

来月少し長めの休みをとることができそうで、どこかに行きたいなと考えていた。すぐに海外がいいなと思った。国内にも良い場所がたくさんあって、旅するなら国内が清潔で安全なこともわかっているけれど、日本語が聞こえない場所に行きたいと思った。遠くへ行きたい。私は言葉が好きだ。日本という国が好きだ。だけど、たまにとても疲れる。聞き取れる、理解できる言語は全て自分の中に入ってきて心を乱す。理解できない言葉は単なる音で、私を疲れさせない。日本語が聞こえない場所は不安だけどどこか安心できる。伝わるだろうか。読めもしない看板を見たり聞き取れもしない隣人の会話を聞いたりしながら、自分の知らない言語で意思疎通をはかる人々についてぼんやりと考える時間が好きだ。言葉が好きだ。だけどコミュニケーションがとても苦手だ。言葉ひとつひとつに乗った感情について考えすぎてしまう癖が嫌いだ。安全な場所にいる不安に耐えられなくなったとき、人は旅に出る。知らんけど。