他人の人生

きわめて個人的なこと

オラに元気を分けてくれ

 声に出してもどうしようもないことばかりだけど、誰かと喋りたいと思う。数日前に内示(?)が出て、とにかく不安でたまらない。

 社会人五年目が終わろうとしている。この会社に入って、長崎、熊本、鹿児島と南へ移動してきた。自分で言うのもアレだけど、仕事はとにかく頑張ってきた。どちらかというと認められるまでに時間がかかったし遅咲きタイプだったような気もするけれど、着実にできることを増やして居場所をつくってきた、と、思う。

 良く言えば「この仕事に向いている」「ここにとって必要な存在になっている」、逆に言えば「使い勝手のよい駒」「都合の良い歯車」って感じかな。それでも私はこれが私の強みであり良さだと認めざるをえない。私はこういう人間なのだ。27年間生きてきて、もう大体わかる、自分の特長なんて。

 仕事中心で五年間生きてきた。そのために失ったものも、少ないけれどある。それくらい頑張ったんだから、時には色々を投げ出して仕事を優先させてきたのだから、このくらい評価されて当たり前だよなともぶっちゃけ思う。そして、ステップアップする時期が来たなとも思う。自分の望んだタイミングで自分の望んだ役割を持たせてもらえて幸せだと思う。正当に評価してもらえていると実感している。今の状況に甘えずもっともっと頑張りたいと思う。でも、こわい。このまま頑張ったところで何になるのだろうと思う。まわりはどんどん結婚して出産して仕事をやめたり社員からパートに変えたり、仕事をセーブして家族の時間を増やしたりしている中で、私は馬鹿みたいに仕事ばかりをしていて良いのだろうか。

 まだ27だ、と思う。同時に、もう27だ、とも思う。仕事はまだまだもっともっとやりたい。実力をつけたいし経験をしたい。27なんてまだまだで、これからきっと今よりもっと大きな仕事を任されたり場数を踏んでうまく仕事をこなせるようになったりするのだろうと思うと希望がある。でも、結婚や出産のことを考えると、もう27だ、と絶望的になる。

 以前仕事で評価された時に嬉しくて当時の恋人に話したら、想像以上に沈んだ声が返ってきて、ああ一緒に喜んでくれないんだ、ってショックだったことがある。私は仕事ばかりを追いかけていたから相手はあまり良い顔をしてくれなくて、それで結局は数ヶ月後に関係も終わった。あの時に強く感じた、仕事を頑張り過ぎていると他を無くしてしまうのかもしれない、という気持ちが忘れられない。仕事を頑張って頑張って頑張って、それで十年後、私はどこにいる?一人でいる?なにしてる?まわりに大切な人はいる?友達とは疎遠になってない?そんなことを考えると弱気になってしまうのです。

 環境が変わる前のただの憂鬱でありますように。私はきっと、置かれた場所でそれなりに咲くのです。今までもそうだったから、そうなのです。だから、オラに元気を分けてくれ。弱気な私に、グダグダ考えずに目の前のことを精一杯やれ!と言って背中を押してくれ。大丈夫だよって、その一言が欲しいだけなんです。

今夜でっかい車にぶつかって

なまぬるい春の風が吹いていて、なんとなく気が滅入る一日だった。夜は酷く雨が降っていた。弱い春の嵐。気づいたら三月ももう半ば。

ベッドに仰向けになって、サニーデイ・サービスの「春の風」を流す。【今夜でっかい車にぶつかって死んじゃおうかな】って出だしが春の気持ちを一言で表していると思う。どこか懐かしくなる。

この前入籍した古い友人のSNS。「昔好きだった人の夢をみた」とある。続く文面から、昔好きだった人とは、私も知っているあの人のことだろうと思う。私もその人が好きだったから。でも、その子と私の「好き」は違ったと思う。私の好きはラブではなく、依存的な何かだった。だって今でもその人に希望を感じているから。その人とは高校卒業以来会っていない。連絡先も知らない。どこで何しているかも、生きているかも分からない。きっとこの先も会うことはない。それなのに友達だったたった十年の思い出を美化して美化して美化して大事に持っているの、馬鹿らしい。馬鹿らしいけど、そんな美化された思い出って、間違いそうになった時に、間違わないで済む抑止力になる。彼に恥じない生き方をしたいと思う。そんなのも馬鹿らしいけど。生きてきた綺麗な面だけ見れば、私の人との出会いは素晴らしく完璧で、百パーセント人に恵まれてきた。その出会いをいつも春にリセットして、リセットして、リセットして、リセットばかりで、いつのまにか人との繋がりがどんどん減った。

春は気が滅入る。毎年春は体重も増えるし眠れなくなったり眠りすぎたりしてしまう。別れがすぐそこまで来ている。恋人は達観している。私は珍しく感情的でない恋愛をしている。恋人は、私が小学校に入学した時にはもう中学生だったのだと考えると、経験の差がありすぎるなといつも思う。私はずっと子どものまま。触れると満たされるんだけど、何故かすぐ足りなくなる。お互い言わないけれど、私たちはさよならを意識し過ぎて生き急いでいる。もう恋愛なんて出来ないだろうと思っていた二年前の自分が卒倒してしまいそうなくらい、さらっと始まった恋愛。ただの恋愛。将来とか結婚とか現実とか、そういうのが現れない楽しい恋愛。人生のオプションみたい。まあ、人生のイベントなんてオプションだらけですけど。気軽で手軽で少し悲しい。今とても寂しいと感じるのも、いつも足りないと感じているのも、全部春のせいにしていたい。きっと春だから。

キッチン

狭いキッチンの隅っこで、ヤンキー座りしてブログを書いている。IHコンロがヒューヒュー、フライパンがぐつぐつ音を立てている。鶏そぼろを煮ている。チューブの生姜をこれでもかというくらい絞って入れた。

鶏そぼろが食べたかったわけではない。晩ご飯にはレトルトのカレーを食べた。箱ごとチンするやつ。中辛。だから今お腹は空いていない。そぼろを煮ているのは、甘いものが食べたくなって、買っていなかったのだからあるはずもないアイスがあるかなと少しだけ期待してあけた冷凍庫の奥に、いつ買ったか忘れてしまった鶏ミンチがあったから。つまんない。自分が適当に作って、自分が適当に消費するために買い置きしてあった食材も、お腹も空いていないのに夜中に謎の使命感で作る料理も、つまんない。私の最近の生き方みたい。

去年の秋頃までは、マメに料理をしていた。自分のために作る料理も悪くないと思っていたし、深夜にキッチンに立つと寂しさが紛れた。コンビニのご飯にもカップ麺にも飽き飽きしていた。だから自炊をしていた。冬になって、生活に向き合う余裕がなくなって、「食事」よりも「栄養補給」がメインになった。ウィダーをたくさん買い置きしていた。

そして、今。滅多にご飯も炊かなくなった。何故か、キッチンに立ちたくないのだ。包丁もまな板も見たくない。以前はあれだけ心を無にできて良いとひたすら野菜を切っていたのに、今はちょっとした野菜も買わない。野菜を摂らなければと申し訳程度でよく買っていた袋入りのキャベツの千切りすら買わなくなった。

自炊をしていた時期、自炊に対して褒められることが多かった。弁当を作って行くと偉いねと言われたし、一人暮らしなのに毎日ご飯作って、ちゃんとしてるねとも言われた。嬉しくも誇らしくもなかった。私は料理が大好きではなかった。生きるための自炊をしていただけだ。コンビニ弁当に飽きたから自分で作っていただけだ。だから、偉くもなんともないし、凝った料理など作ることはできない。ほんだし入りの味噌汁や、麺つゆで作った煮物、焼き肉のタレで炒めた野菜、ゆでたまご、鶏そぼろ。

私の趣味は、料理ではない。

私の特技も、料理ではない。

私にとって料理はきっと義務みたいなものだ。

なんだろう、上手く言えないけれど、私には「義務」がとても多いと思う。そのせいで自分もまわりも苦しめている気がして、たまにすごくしんどい。自分にとっての義務が多すぎて辟易しちゃう。

私、鶏そぼろ、明日食べるんだろうな。腐らせないように、できるだけ早めに消費するんだろうな。馬鹿みたいに沢山できた鶏そぼろ。きっとそのためにご飯も炊くのだろう。明日の義務ができてしまった。どうしてこんなにモヤモヤするのだろう。大きな悩みもないし、睡眠時間も確保できているし、毎日それなりに笑って過ごしているのに、どうして夜中になるとこうなってしまうんだろう。

こないだ、心を許しすぎている相手に、「強欲だね」と言われた。言われた瞬間になんとなく腑に落ちた。私は強欲なんだ。幸せならば幸せでそれが怖くて足りなくて、いつも何かを疑っていないと心が安まらないのだ。まだ二月なのに来年の運勢を知って来年があまり良くない星回りだと知った。知ったその日から来年の不幸について考えている自分の頬を引っ叩いて、今を真正面から見ろと告げたい。不要な義務ばかりに気を取られて、本当に大切なことを忘れている。向き合わなければならないことは、もっと他にある。

お腹は空いていないけれど出来上がった鶏そぼろはそれなりに美味しそう。ヤンキー座りって結構疲れる。

ナンについて

もう何年も前、当時の恋人と付き合い始めた頃、ドライブ中に質問大会をした。質問大会と言っても、「好きな食べ物は?」「きのこ派たけのこ派?」「真っ暗でも眠れる?小さいあかりが必要?」のような簡単な質問をするだけの、要するに「相手のことをより知ろう」的なコーナーだった。

いくつめかの質問で、私は、「ご飯とパンどっちが好き?」と聞いた。まじでどうでもいい質問だし、その日によって気分なんて変わるだろうし、まあ日本人だしご飯の方が食べる回数は多いだろうと予想はつくし、「朝はご飯派?パン派?」とか、そういう具体的な質問にすればよかったと今になっては思う。ただその時の私は、その場の流れとノリでそんなどうでもいい質問をしたのだ。

ご飯、と、相手は答えた。ふーん、じゃあ、ご飯とナンだったら?と私は返した。そうしたら、相手は突然ゲラゲラと笑い出した。そして言った、「ほんと面白いよね、そういうところが好きなんだよ」と。

え???

別にウケを狙ったわけでもない、ご飯とナンだったらまあご飯だろうとは思っていたけど、念のため聞いておこうと思って質問しただけで、こんなにウケてくれるとは夢にも思わなかった。その後も私が特に何も考えずに言ったこと・したことが何故か相手にとてもウケて、その度に私という人間が「面白い」と褒められた。

なんてことないエピソードだけど、私はたまにこのナンの話を思い出す。そして、人の価値観ってそれぞれなんだなと思う。ネガティブな感情が自分の中にドロドロと渦巻いて、自分って何故こんなにつまらなくてどうしようもなくて何にも持ってないんだろう、なんて落ち込んでしまう日もまだまだたくさんあるけれど、私以外の誰かが笑ってくれたことをふと思い出しては、少し強くなれる気がするのです。

何もない自分を愛したい

自分から良い香りがする。and andのシャンプーの甘い香り。少し甘すぎるくらいに甘いけれど、そのくらいがちょうど良い。

昨年の秋から年末にかけて、怒涛の勢いで日々が過ぎ、何に流されているのか何に追われているのかも分からないくらい精一杯の毎日だった。枕に頭がつけばコテンと眠りについていたし、いつだってとにかく帰って眠りたかった。仕事以外で自分の時間が持てると幸せに感じた。

それなのに今は、その時期の半分も働いていない。物足りない。働いた気がしない。一日をスッキリ終えられない。こんなの馬鹿げている。日ごとに忙しさはあるわけで、仕事だって山積みなわけで、それでも全体の仕事のペースが緩やかになり働く時間が短くなっただけでこうも変わるのか。一日、自分が何を成し遂げられたか考えた時に、何も無いように感じてしまう。そんなことないのに。やれるだけやったのに。精一杯頑張ったのに。こんなに心だけは疲弊しているのに、身体は元気いっぱいでおかしい。ただ、健康的な働き方に戻っただけというのに、そう言えば私の人生なんてずっと何かに追われていなければ私の日常じゃなかった気がする。

物心ついた時から時間は「足りない」「追われる」ものだった。学校に行く前の朝の準備はせかせかと、授業の前は遅れないように小走りで、給食は居残りにならないようにばくばく食べる、授業が終われば走って部活へ、家に帰ったら課題をして、予習をして、テレビなんて観ていたらあっという間に夜で、寝る時間で、お風呂は作業で、ドライヤーは時間の無駄だから嫌いで、だからというわけではないけれど万年ショートカットだった。大学に入っても授業が終わったらダッシュでモノレールに乗ってバイトに行って、最終モノレールの時間ギリギリまで働いていた。目の前で最終モノレールのドアが閉まったことも一度や二度じゃない。家に帰ったらレポートを。コタツで寝落ちして起きたら一限ギリギリ。そんな日々に慣れていた。何もしていないのが怖くて寂しくて、出来るだけ何かを残そうとしていた。今も多分そう。

使いもしない資格をとってみたり、興味もない分野の本を読んでみたり、行ったことのない場所ばかりに興味を持ったり、そういうのは全て私が生きた形を残したいからなのかもしれない。本当は何もない自分を愛したい。仕事が閑散期ならばプライベートを充実させなくちゃと躍起にならなくても良いのだ、ほんとうは。今日は一日中お布団でゆっくりできてよかったねえ、でも良いのだ。働く時間が短くなったから帰りにコーヒーでも買って家でゴロゴロテレビ見たり本読んだりしようかな〜、で良いのだ。無理に頑張って何かを成し遂げようとかしなくて良いのだ。分かっている。分かっているけれどどこか許せない。勿体ない、そんな時間の使い方したら勿体ない、時間は「足りない」ものなのに。

考える。私の時間は、周囲より少し速く進んでいる。ただ、それだけ。密度があるわけではなく、少し速いだけ。それだけ。落ち着きたい。もっとゆっくり、丁寧に、自分の一挙一動を見つめて、それだけを認めて、受け入れて、そういう時間を持ちたい。何もない自分を愛したい。精進も邁進もしていない自分も自分だと早く許してあげたい。考えたって仕方のないことは考えてもどうしようもないのさって耳元で口笛を吹いてくれる妖精を飼いたい。

2022

今年の私へ。

2022年が始まりました。今年も私のお世話をよろしくね。今年はきっと変化と挑戦の一年になります。不安なことも、考え込んでしまって眠れない夜も、既にたくさんあります。でも、思い詰めるのも一人で抱えるのも良くないことは知っているよね。真面目で責任感が強いのはあなたの素敵なところですが、テキトーに息抜きしてテキトーにのらりくらりかわしていく技術も身につけていきましょう。

もし自信をなくして挫けそうになったら良いことだけ良いことだけ思い出そうね。

今年のあなたに覚えておいてほしいことをいくつか書いておきます。

🍵人に優しく、自分にも少し優しく

日々、「優しくなりたい」と口癖のように言っているあなたは、優しくいようという気持ちはあるけれど、心の余裕を無くした時に優しさも落っことしてしまいます。きっと少し自分に優しくすれば、人にも優しくできると思うんです。今年は自分のことも大切にしてみてね。

🍵冷静に、自分の軸を持って仕事をする

あなたが挑戦しようとしている管理職って多分とても大変。あなたは見た目が見るからに舐めてかかられそうな小娘だということ、自分でも自覚しているし人からも言われたことあるよね。それで嫌な思いをしたり泣いたりしたこともあるでしょ。でも、あなたが毅然と冷静になって対応できれば防げたこともあります。敢えて厳しいことを書くけれど、過去に嫌な思いをしたのは、自分の未熟さも原因の一つです。とにかく落ち着いて。まずは落ち着くこと。大丈夫だよ。

🍵公平と平等を明確にする

これも仕事のこと。八方美人になれと言っているわけではない。明確な基準を示して納得を得ろ。

🍵健康的な生活を送る

少なくとも週に一度はジムに行く。体重は出来れば今より二キロ落とす。でも体重よりも体脂肪率が気になるので、体脂肪率を落とせるようにする。食べたいものは悩まず食べる。食べすぎたら他の食事で調整する。野菜と水分をたくさんとる。早めに寝る(できたら)。

🍵中身のある読書をする

冊数もたくさん読みたいけれど、今年は次が気になってわくわくする読書、もっと勉強したい・この分野について他にも知りたいと思えるような読書をしたい。去年、noteを書きながら、4年間noteを書いてきたけれど自分の語彙はここまでだな、と行き止まりが見えた瞬間があった。素敵な言葉・表現に多く出会わなければ、鮮やかな文章は書けない。私の文は文というより語彙力少なめの感情の垂れ流しだという自信の無さがすごい(すごい、としか言えないこういうところも語彙力が無い)。今年は、はっとする日本語にたくさん出会う。

🍵好きな人には好きという

「推しは推せる時に推せ」という言葉があるように、人ってある日突然消えたりする。あなたは今まで素直になれなくて後悔することばかりでした。普段のように思ったことぱーんと言ってみるのも良いかもしれません。素直さをそこで披露しなくてどうする。何にでもそうです。今しかないと思って気持ちを伝えていこうね。

🍵フットワークは軽く、口はかたく

言葉の通り。気持ち良い人間でいよう。

ぽえm

かわいそうって言うと

本当にかわいそうになっちゃう気がするから

せめてがんばれって言って

私ばっかりとかそういうこと考えるのは良くない

私が無理だと思った瞬間に本当に無理になるから

大丈夫だと思っていれば大体のことは大丈夫だから

ヘラヘラしていたい

ニコニコしていたい

出来るだけ明るくいたい

それでしか乗り切れない

限界はいつもすぐそこ

あと一歩で落ちる

あと一グラム乗せたら壊れる

あと一滴で溢れる

でも意外とその「あともう少し」はやって来ない

深く息を吸って肺を広げて

私はまだ息ができると思わせて

歩くのをやめると終わる

振り向くと泣いてしまう

下を見ると諦めてしまう

息継ぎをしながら泳ぎ続けなきゃ

どうして私ばかり好きなんだろう

どうしていつも振り回されるの

そういうこと考えちゃダメ

知ってる、こういうのは感情的になった方が負け

ちゃんとノーと言って

嫌なことは嫌と言う人が好き

都合の良い人にならないで

都合が良いのは私で十分

「おすすめできない私」のまま生きてる

なんにも持ってない

取り柄もない、心根が美しいわけでもない

どこを探しても自分がない

空っぽ、空っぽ、空っぽ

叩くと軽くて安っぽい音がする

こんな自分だからとにかく頑張るしかない

それくらいしか手立てがない

だからかわいそうなんて言わないで

私のために他人に腹を立てないで

そんな無意味なことしないで

ごめんねって言うのは簡単すぎて

こんな言葉じゃ本心は全部伝わらない

容易に謝り過ぎなんだ

ごめんねしか知らない

何て言えば伝わるんだろう

気持ちの色は変わらずにそのまま伝われば

もう少し器用に生きられるでしょうか

自信がないから喧嘩もできない

目を合わせてくれないことが

実はいちばん辛かった

「見えないものは無いのと一緒」

人前で泣けない私の涙は

はじめから無かったんだ、たぶん

そういうことにしておこう