他人の人生

きわめて個人的なこと

日記

このブログは、まとまらない気持ちを書くのに便利だ。

ここ数日間ずっと5ミリくらい地面から足が浮いていて気持ち悪かった。無になりたいためだけにジムに行って走りたくてうずうずしていたけれど、ジムで走っても何ら心は変わらなかった。でも数ヶ月振りに会った家族には痩せたと言われた。重さは変わらずとも見た目が変わっていると言うことだろうか。遺影に手を合わせたら少しだけ気持ちが静かになった。

強みが欲しい。自分には何もないなといつでも思う。何もない割に欲張りで、理想だけが一人歩きしている。もっと勉強しておけばよかった。シャクシャインって何をした人?教養というワードを見るたび痛い。まずは自分自身の無知を知らなければならない。

どうしてそんなに優しくしてくれるんですかとメンヘラみたいなこと言いそうになった。言わなくて良かった。危なかった。どうでもいい時にはよくある「モテるテッパン仕草」みたいなのテキトーにやれちゃうのに、本当にモテたい時には「あざっす!センパイ自分もっといけます!!」みたいなキャラになってしまう。最悪だ。

最近は夜、よく空を見ている。秋の夜の空は澄んでいて綺麗。私からしたら確実に一等星だなと思う星を見つけたけれど実際はどうなんだろう。一等星って言ってあの人に通じるかな?合唱で歌った「札幌の空」はどうだろう?「ぴえん」は、多分通じない。人と会わないうちにどんどん近かった人が遠くなるだけでなく、私自身が私の他人になっていくような、そんな感覚に陥る。自分だけがいつも心許無い。去年のことも明日のことも同じに思える。今日笑ったことだけを覚えていたい。忘れたくないことだけを書き記しておきたい。自分の責任で選んだことを自分の中できちんと消化したい。

どこにも行きたくなくて、どこにも戻る適切な場所が見当たらなくて無駄なまわりみちばかりして、それなのに結局日付がかわる前に家に帰りついてしまった。日曜日が終わって、私の足は地面についた。浮いていた5ミリは力尽くで元に戻した。ネットの世界の人だと思っていた人がちゃんとこの世に実在するんだなと妙に感心してしまう出来事があった。不思議な世の中だなとつくづく思う。

おちてく

あっという間だけど激しくない時間、少しだけ高鳴るけれどリラックスした夜だった。林真理子風に言うのならば、今日のこれは「デイト」だったのだと思う。待ち合わせまで一時間、自分はまだ約束のために髪を巻くことができると気付いた瞬間に急に照れが襲ってきた。別にそういうのじゃないのに。そういうのじゃないのに、化粧下地を変えたその日に顔が変わったことに気付いてくれたのが想像以上に嬉しくて、多分分かりやすく顔が喜んでしまっていただろうなと思う。

異性と二人きりという状況がとてつもなく苦手だ。流れでそうなってしまった場合はある程度は大丈夫だけど、約束になると最悪だ。誘われた瞬間にシャットアウトしたくなる。どうにか口実をつくって逃げたくなる。相手がどうこうではなく、そういう状況そのものが苦手なのだと思う。

でも、今夜のデイトは、大丈夫だった。大丈夫、というのは私の中ではとても大きなことだ。すんなり時は過ぎた。終始穏やかな気持ちで、あ、これ、何かあと一押しあればいつか付き合うのかもしれないと思った。でもきっとこのままだろうなとも思った。簡単に言えば今の時点では利害関係が一致しているのだ。私は寂しい。相手もきっと寂しい。たまに一緒にいるだけの相手がいることで生きている実感につながる、みたいな、そんな関係。良くも悪くも嘘がない人だから、私も無駄な嘘をついたり繕ったりする必要がない。楽だ。それだけ。それだけでありたい。もうこの先に男とか女とか好きとか嫌いとか将来とか現実とか見たくない。

私は話し相手が欲しい。優しくされたい。でも付き合ったり体の関係になったりはしたくない。そこまで踏み込まれるのは怖い。浅瀬でパチャパチャやりたい。一人じゃない実感が欲しい。ずっと正直でいたい。良い人ぶらずに、取り繕わずに、可愛いふりせずに、素で話せる相手が欲しかった。そんなの甘えだってわかっているし、私の望む「このまま」なんて実現しないこともよくわかっている。現にもう相手から欲しいものはほとんどもらってしまっている。私を根気よく褒めてくれる。私の言ったこと、好きなもの、ちゃんと覚えてくれている。些細な変化に気づいてくれる。私の「嫌」を察知してくれる。私が警戒心が強いことを理解してくれているから、距離のつめかたすら優しい。指一本触れない。ありったけの優しさ。泣きそうなくらい優しい。それはそれは優しい。ずーっともらってばかり。もらってばかりなのに「友達」とかおこがましいと思う。私が友達だと思っていても、実際にはただ相手に甘えているだけである可能性もかなり高い。そうやって勝手に相手に甘えるだけ甘えている状況をつくるのが怖い。そんなの良くない。

カッコ悪いな。ずっと迷っている自分がカッコ悪い。その気になればもっともっとちゃんとできるのに。もっともっと好きなところちゃんと言えるのに。もっともっと言葉で伝える努力もなんでもできるのに。でもそれをしてしまうことによって築いてきた色々が壊れるのが怖い。ずっと怖い。表情が変わらない相手が照れた瞬間をとらえて、でも気づかないふりした。人生一周目だから、なかなか人間力が上がらない。うまいことも言えない。私は何度こういう煮えきらない関わり合いを繰り返すのだろう。やれやれ。

自分の感情に振り回されて、近頃まともな文が書けなくなった。元々あまりまともじゃなかったけれど、さらに。「ずっとまともじゃないってわかってる」まともじゃない時、つまりいつも、この歌詞は私の心臓を泳いでいる。魚みたいにすうーっと心を横切る。頑張れば良いことあるよとは無責任に言えない。人には人のタイミングがあることも、それが重なったりぶつかったり上手くいったり壊れたりすることも知っている。割れた爪が戻らない。余裕ぶっていたいのに、予期せぬことばに対しては全くのベイビーになってしまってカッコ悪いな。ベイビーっていうのは最近の口癖。知っていくうちに分かってくる、だから最初から決めつけないようにする。出来るだけ。変わらないこの環境が心地よく感じている。でも、変わらないこの環境が生ぬるくもあって、選択肢があるものの答えを選ぶのがとても苦手。寂しがり屋のプロのあなたが羨ましいです。いつも会いたいです。楽して幸せになりたいです。今日も星が綺麗。星がいつもより近い。この星を誰と見れば、いまの「幸せ」は「もっともっと幸せ」になるのだろう。いまの「幸せ」が「私にとっての最高の幸せ」なのかもしれないのに、どうしてその先をその先を探したくなってしまうのだろう。おちてく。ふらふらしている。軸になるものが何もない。何がしたいのかも分からない。強いて言えば何もしたくない。自分の足で立っていたい。ぼんやり空を見上げる時間が欲しい。もう無邪気なままではいられない。そう言えば私は、今まで無邪気な私に出会ったことがない。一緒にいて寂しくない人、久しぶりな気がした。

私の矛盾について

とてもせっかちで物事をぱっぱっと進めたい派なのに、人と普通に打ち解けるまでに通常の倍はかかる。

一目惚れして恋におちたりしてみたいのに、その人を知ってから数年たたないと恋みたいな感情は生まれない。

人に指示されたり命令で動いたりするのは嫌いなのに、自分は歯車としての性能は悪くないと思っている。

お金持ちだとか収入の高さとかよりも、収入と支出のバランスが取れているかお金に対してリスク管理があるかの方が気になるのに、それでも正社員という文字に魅力を感じてしまう。

私はまだ27歳なのに、とも思うし、もう27歳だ、とも思う。

年上の人にベタベタに甘えたいけれど、後輩をベタベタに甘やかしたり見守ったりする方が向いているような気がする。

やりたいこと、やるべきこと、好きなこと、向いていることがそれぞれ違う方向を向いていて、どこに向かって進むべきかが分からない。

やりたいことをやれる人生は幸せだろう。でも、やりたいことだけで現実問題食べていけるのだろうか。

やるべきことをやって誰かを守れる人生は幸せだろう。でも、やるべきことだけにすり減ってしまって本当に楽しいのだろうか。

好きなことで生きていける人生は幸せだろう。でも、現実はそんなにきっと甘くない。

向いていることで生きていければかなり楽だろう。でも、それだけで生きるのは寂しくないだろうか。

矛盾だらけが世の中で、矛盾だらけが私なのだ。お茶と名乗っているけれどコーヒーばかり飲んでいるので、最近はユーザー名を「焙煎」とかにしようかなって思っている。会ったこともない・今後(も)会うことがないかもしれないネットの世界のみんなが明日も笑っていますように。今日はほんの少し自分の心に余裕があるので誰かの幸せをほんの少し願ってみる。たくさん願えるほど善人ではないけれど、自分の好きな人と自分の幸せはいくらでも願いたい。

一筋縄でいかない人生、よきかな。

秋つれづれ

窓を開けたら秋の夜が立っていた。虫の声を聞きながら、ワイシャツにアイロンをかけて、温かい緑茶を飲む。こんなに穏やかな夜はいつぶりだろう。私は一人でいる方が穏やかで着実に過ごすことができるように思う。誰かといると結局あとには寂しさが残る。秋だからだろうか。

言われたこと、言ってしまったこと、やらなければならないこと、引きずっていること、考えたくないけれど考えなければならないこと。生きている限り逃れられないことだらけ。忘れたくても忘れられない、気にしてもどうしようもないのに頭から離れないことだらけ。人を羨んだり憎んだり怒ったり泣いたり後ろめたくなったり、どうしてこんな馬鹿なことを繰り返して、やめられなくて、遠回りばかりするのだろう。やりたいことを「やりたい」だけで出来ないことが増えて、自分の正義を「ただしい」だけで扱えないことが増えて、ちっぽけな人間たちが些細な言葉でギリギリ繋がっている、大人の世界も結構慣れたよ。大人も結構良いもんだよ。

まったくお酒を飲まなくなった。代わりに煙草を吸いたくなることが増えた。喋り続けないと死にそうで、どうでもいいことをペラペラしゃべり続けて、きっとそんな私のこと相手だって気づいてる。知らないうちに腕や指に擦り傷や切り傷が増えている。新入社員の時の自己紹介で座右の銘を聞かれてとっさに【死ぬこと以外かすり傷】と答えてしまって、逞しいと笑われたことを思い出した。死ぬこと以外かすり傷だ、でもかすり傷が積み重なると死ぬこともある。死なないでほしい、成功とか名誉とか夢とか希望とかよりも、死なないで。励ましてくれる人も必要だけど、実は秋の夜に自販機のホットコーヒーを買って一緒に飲める人がいることが生きる希望になる夜がある。今年もそんな季節がやって来る。

あっという間に九月で、あっという間に秋。いつも忘れてしまうことが大事なことかもしれない。無理に季節を感じようとしても違和感だけが残るから、無意識のうちに自分にすっと入ってきた季節をとらえる感覚を大切にしたいなと思う。数日前の夕方、少しだけ金木犀が香った。私は秋がすき。 

あたまでっかち あなたせっかち

思うところが多過ぎて、考えることがありすぎて、思考回路が壊れた。自分のためにやりたいことが沢山あるはずなのに、ひとつひとつの作業の途中で色々が舞い込んできてその度に手を止めて、を繰り返して結果自分のことはなにひとつ解決していない。

愛用のスニーカーがトイレに流れる夢をみた。悪夢だな〜と思いながら、それでも一日を何事もなく終えようとしていたのだけれど、一日の終わりにそれはそれは最悪な出来事が起こってあ〜夢の通りだ〜と思った。

その翌日はゾンビみたいな人間みたいなよく分からないものに追いかけられて逃げ回るという、これまた悪夢をみた。寝ている時でさえ落ち着かない。

とりあえずメンタルビッチをやめたい。他人の気持ちがこわい〜ぴえん〜とか言っているものの、その種を蒔いているのは自分だという説も否定できない。昔から分かっているんだけど八方美人しちゃう。しかもビジネス八方美人だから、ビジネス用自分を気に入られて、普段用自分とのギャップに引かれてジ・エンドパターンが多すぎる。いけそうでいけない女をやめる。ヘラヘラしてるから舐められるんぞ。いけなさそうでいけない女になる。

いつもは何も見えなかった関係に、突如性別の壁がダンッと立ちはだかる瞬間が生々し過ぎてきもちわる、と思うくらいなら、初めから自分が女性として扱われないように細心の注意を払えば解決するかもしれない。リスクマネジメント。言葉の使い方合ってる?

とは言え、自分の中で「大丈夫な人」と「大丈夫じゃない人」がいて、感覚でそれは勝手に分類されていて、それは「生理的に無理か無理じゃないか」っていうところとかかわるのかなあ?私という人間に対して言葉をくれる人のことは好き。私の年齢とか性別とかそういうのに付け込んでくる人は嫌い。でも可愛いと言われるとなんだかんだ嬉しい。自分の芯がどこにもない。あなたは家でも元気で明るくてずーっと働き回ってるの?部屋ピカピカそう、とかってよく言われる。私家ではこんなんじゃないです、実はこんな性格じゃないんですと言ってもなかなか信じてもらえない。「元気ないことある?疲れてることある?ないでしょ?」と言われたのにはさすがに笑うしかなかった。私はスーパーサイヤ人か。

良い時も悪い時も、今はそういう時だと思ってコツコツ生きるしかないし、実際そうやって生活してきた。私は運が良いなと感じることが多く、わりかし好きな人生だなと思う。足りないものに目を向ければいくらでもあるけれど、それよりも私を大事にしてくれる人のことを私も大事にしたいなと思うし、実は他のことはそこまで大切ではなく、それだけで良いのだとも思う。でもぶっちゃけ五億円欲しい。

K

Kって聞いて思い出すのは、夏目漱石のこころ。

かわいくってあざとくて、賢くて強かに見えて誰よりも繊細で、それが全て合わさって得体の知れない色気を放っている。こういう人は誰かの人生を狂わせるだけ狂わせて、ふといなくなってしまう。気付いたら消えている。

「人生でこれ以上ない関係の二人」と、名前を与えられて嬉しかった。誰にも評されずに知らぬうちに消えていく関係だと思っていて悲しかったから、親友の目にはそう映っていたのだと後から知ることができて嬉しくて、でも終わってしまったなという虚しさと色々な気持ちで混乱した。

死んだ後にあの子いい子だったよねなんて言われたくない。生きているうちに褒められるもの全て褒められたい。愛されるとこ全て愛されたい。後世に名前なんて残らなくていい。思い出っていうのは無責任でいいね。できれば思い出で綺麗になった私だけ思い出してね。

私は許されたくないなと思う。私は甘やかされて駄目になりたくないなと思う。私は諦められたくないなと思う。だから叱って欲しいと思う。肝心なところが甘くていつもダメにしちゃう。敬語でかしこまった人のたまに出るタメ口にときめいているうちはまだいいよね。

普段から楽しくお喋りしていた相手に、そういえばあなたのことって何も知らない、好きな音楽ってなんですか?って言い当てられた時のあの感じが忘れられない。私が自分のことを話そうとしないのは、話したくないわけではなく、相手のことが苦手なわけでもなく、何故かそういうことを上手く話せないからなのだ。「明るく笑顔でお喋りな私」は「ビジネス用の私」だって多分もうバレている。でも、だからと言って「ビジネス仲良し」してるんじゃないんだよ、ちゃんと大好きなんだよ。27歳、いくつになってもコミュしょーがつらい。

都合の良い女はごめんだけど都合の良い恋愛がしたい

会いたいの四文字に突き動かされてこの時間にタクシーに飛び乗る人の気持ちが知れない。終電なくなっちゃうよ?どうする?もう一杯飲む?と終電十分前に相手の目を覗き込むような人のことも理解できない。それなのに狂った時の自分は感情とか理性とか理解とかそういうの全くなく気づいたらそういう言動をする。冷静になってから振り返ると吐き気がする。恋愛は別人格。執着が酷い。上書きも早いし恋愛に対する嫌悪も凄い。自分の恋愛に対する諦めや気持ち悪さも、他人からの好意を必要以上に恐れる気持ちも、こんなことならはじめから恋愛なんて要らなかった気さえする。

都合が良いって何だろうと考えながら、都合が良い女になるのはごめんだと思う。でも、都合が良いって何だろう。そんなこと言っていたら今私が求めている恋愛なんて全て都合の良さじゃないか。例えば、疲れた時にどろどろに甘やかされたい。そんなの自分の都合じゃないか。帰ってきたらご飯があって欲しい、それも。寂しい時に一緒にいたい、これも。全部都合の良さみたいに感じて、そこまで考えた時にじゃあ今まで私は都合の良さを恋愛と勘違いしていたのだろうかとはっとする。分からない。でももしかしたらそうなのかもしれない、それに大人の恋愛において都合の良さが全くないことなんてあるのだろうか。都合の良さがないとやってけないのでは?それも分からないけれど。

都合の良い女にはなりたくないと思ってやってきたつもりだったけど、それは裏を返せば相手を都合良くつかって(言い方は不適切だけど)いたのではないだろうか。振り回されていると思っていたけど振り回していたのかもしれない。

もう間違いたくないし人間関係を変に壊したくもない。でも間違いとか正解って今はわからないし、後になって間違いが正解になったり正解が間違いになったりする、人間関係も知らないうちに壊れたりする、だからイモッてばかりいても進めないのだ。それは理解しているつもり。でもどうしても自分が人間として、恋愛対象とか女性とかそういう位置付けでなくただの人として存在できている居場所を壊したくはない。居心地の良い空間はそのままにしておきたい。ならば私はきちんと線を引くべきなんだ。ロングが好きと言われたから髪を切れないみたいなずるずると楽な方、愛される方に流されて都合よくメンタルケアしてもらおうなんてずるい。そう、私がやめたい「都合の良さ」って、いつも大体そっちだったんだ、なんやそれ。だって愛されてるってわかる確実な言葉くれる人とおりたいやん。楽に好かれるんならそっちの方法試すやん。大きく変わって引かれたくないやん。冷められたくないやん。でも知ってる、そのくらいで冷めたり引いたりする人は私のことちゃんと好きじゃないってこと、知ってるけど、そうなんだけど、知ってるけど。だから本当はSNSも書いている文も隠さなくていい関係の方が健全だって思ってはいるんだけど。