私は冷えた弁当でも気にならないし、冷たいご飯もおいしく食べる。これまで、弁当が冷えていることに対して全く気にしたことがなかった。なんなら、冷たい少しかたく感じる白ごはんも結構おいしいと思っていた。毎日ちゃんとレンジで弁当のタッパーをあたためてから手を合わせて食べ始める人と出会うまでは。
目から鱗だった。そうか、あたためればいいのか。
職場の休憩室で一人冷えた弁当を食べていると、お疲れ様でーす!と同僚が入ってきて、エアコンとテレビをつける。一気に人間が集う活気のある場所になる。そうか、エアコンをつけてテレビをつければもっと充実したのか。そうか...。自分の生き方の下手くそさを噛み締める。
エアコンもテレビも、遠慮してつけないわけではない。ただ、今の自分に必要ないと思ってつけなかっただけだ。いや、正直に言うと、エアコンにもテレビにもピンときていなかった。つけたら快適になる!と、実際に他人がつけてから気づいた。伝わるだろうか、私はそういう人間なのだ。
ただ、それでも十分に満足している。いつもの昼食用のタッパー、三分の二はご飯、あと卵焼きと冷食のおかずか昨晩の残りのおかず。ひどい時にはご飯と卵焼き4切れなどというラインナップの日もある。レンジでチンのひと手間も加えず、冷たいご飯をほおばる。はたから見たら改善ポイントがたくさんあるのだろうと思う。それでも、私はその毎日に満足している。
私は欲張りだ。欲張りなのに、ものすごく無欲だ。一つ一つに対して「今の自分に必要なのか」と真剣に考えてしまう要領の悪さを隠すために、はじめから不要と決めつけて生きる、そんな感じ。ドライ。スーパードライ。せめて人に対してはもっと適切に執着して、相手に必要とされたいときは言葉で伝えて、関係を切りたくない相手にはもっとちゃんと好きと言うようにしたい。このままじゃひとりぼっちに向かって歩いているのと同じだ。