私が言うおじいちゃんは父方の祖父のことで、一昨年の冬に亡くなった。いまだに信じられない。会いに行けばいつもの椅子に座って巨人戦を観ているに違いないのに、おじいちゃんが座っていた椅子にはもうおじいちゃんも、おじいちゃんが可愛がっていた猫もいない。信じられない。
今でもおじいちゃんが生きているような錯覚に陥ることがしばしばあって、そうか、もういないんだったと思い出してはしゅんとした気持ちになる。
おじいちゃんは口数が少なく、のんびりしていて穏やかだった。おじいちゃんが運転するマーチは、いつも制限速度より少し遅めに走った。よく思い出せるおじいちゃんの姿は、いつもの椅子に座って巨人戦を観ているところと、猫に首輪をつけて散歩させていたところ、グランドゴルフをしているところ、遠い昔、海に行った時に砂浜で見つけたうつぼを素手で投げていたところ。
おじいちゃんは校長先生だった。親戚の集まりのときも上手に皆の前で挨拶をしていた。普段、昔話はあまりしない人だったから、たまに聞くおじいちゃんの話は新鮮だった。おじいちゃんは、ゆっくり、はっきり、丁寧に喋った。
人は無くしてから気付くものが多すぎるとよく言うけれど、その通りだ。生前、わたしはおじいちゃんにあまり会いに行かなかった。地元を離れてからは、年に数回会えれば良い方になっていた。帰省する度におじいちゃんは「美味しいもんば、よんにゅう食べていけ」「刺身食べたか。肉は食べたか」と私にとにかくたくさん美味しいものを食べさせたがった。
おじいちゃんが亡くなったと母から連絡を受けた時、わたしは職場にいた。上司に伝えて休みをもらわなければならなかったのに、報告の途中で声が震えて涙が溢れた。おじいちゃん、おじいちゃん、ってよく懐いて甘えることのなかった孫が、帰省してもなかなか会いに行かなかった孫が、今さらこんなに泣いたところでどうしようもないのに。何なら私は悲しむ資格がないくらいには孫不幸だったと思う。それなのに、結婚式に絶対に来て欲しかったのはおじいちゃんだったし、いつか生まれてくるかもしれないひ孫を見せたかったのもおじいちゃんだった。そんなことにその時ようやく気付いた。バカなわたしは。
おじいちゃん、わたしの結婚式はまだまだ先になりそうです。ひ孫はもっともっと先になりそうです。巨人の阿部は引退しました。弟は就職します。わたしは、元気です。美味しいものたくさん食べているから心配しないでよ。
おじいちゃんが生まれた月、優しい暖かさを持つ3月が、もうじき来るよ。