他人の人生

きわめて個人的なこと

勝手にさせろ

今の役職以上を目指す気はあるかと問われ、自分には今の役職が合っている気がしますと答えた。嘘ではなかったけれど、自分のことつまんない人間だなと思った。挑戦したいことはたくさんあるのに、「住所不定になるときは別れてるね」と言われた言葉が引っ掛かって一歩を踏み出せない。よく言われる「○年以内に結婚しよう」も、飛び交う「それじゃあ婚期逃すよ」も、明確な根拠がないのにそんなので括るなって吐き気がするくらいうんざりするのに、それらに何となく縛られて身動きがとれない自分がいる。いちばん影響を受けているのは自分そのものだった。そんな言葉に縛られているのなら全部忘れてしあわせなふりして生きていけばいいのに。中途半端な夢ばかりもて余して、時間が来るのを待っているだけの日々が味気ない。そもそも来ないかもしれないのに、それを待つだけの日々。

まわりが結婚して出産して仕事で成果をあげて有名になって自分の店をもって、そんな風に26歳を過ごしていて、自分には何もないような気持ちになってしまっている。結婚には近くて限りなく遠い、なのに可能性の低い結婚のことを考えて、仕事で挑戦よりも安定を求めようとし始めている。私がどっちつかずだから、自然とどっちつかずの人を引き寄せてしまっていて、環境が生ぬるく湿っている。自分で自分の首をしめて息ができない。昔から選択が苦手だ。


それでも私は自分のために生きたいと思う。ララランドをハッピーエンドだと感じた自分の感性を、せめて自分くらいは信じていたい。わかってほしい人ができるのは、時にとても危険だ。伝わらないときに絶望的な気持ちになるから。後悔するくらいなら、やりたいこと全部やりつくしてしまいたい。そのあとにわたしの手の中に何も残っていなかったとしても、それでも。

ひだまりは3月、あなたの春

私が言うおじいちゃんは父方の祖父のことで、一昨年の冬に亡くなった。いまだに信じられない。会いに行けばいつもの椅子に座って巨人戦を観ているに違いないのに、おじいちゃんが座っていた椅子にはもうおじいちゃんも、おじいちゃんが可愛がっていた猫もいない。信じられない。
今でもおじいちゃんが生きているような錯覚に陥ることがしばしばあって、そうか、もういないんだったと思い出してはしゅんとした気持ちになる。

おじいちゃんは口数が少なく、のんびりしていて穏やかだった。おじいちゃんが運転するマーチは、いつも制限速度より少し遅めに走った。よく思い出せるおじいちゃんの姿は、いつもの椅子に座って巨人戦を観ているところと、猫に首輪をつけて散歩させていたところ、グランドゴルフをしているところ、遠い昔、海に行った時に砂浜で見つけたうつぼを素手で投げていたところ。

おじいちゃんは校長先生だった。親戚の集まりのときも上手に皆の前で挨拶をしていた。普段、昔話はあまりしない人だったから、たまに聞くおじいちゃんの話は新鮮だった。おじいちゃんは、ゆっくり、はっきり、丁寧に喋った。

人は無くしてから気付くものが多すぎるとよく言うけれど、その通りだ。生前、わたしはおじいちゃんにあまり会いに行かなかった。地元を離れてからは、年に数回会えれば良い方になっていた。帰省する度におじいちゃんは「美味しいもんば、よんにゅう食べていけ」「刺身食べたか。肉は食べたか」と私にとにかくたくさん美味しいものを食べさせたがった。

おじいちゃんが亡くなったと母から連絡を受けた時、わたしは職場にいた。上司に伝えて休みをもらわなければならなかったのに、報告の途中で声が震えて涙が溢れた。おじいちゃん、おじいちゃん、ってよく懐いて甘えることのなかった孫が、帰省してもなかなか会いに行かなかった孫が、今さらこんなに泣いたところでどうしようもないのに。何なら私は悲しむ資格がないくらいには孫不幸だったと思う。それなのに、結婚式に絶対に来て欲しかったのはおじいちゃんだったし、いつか生まれてくるかもしれないひ孫を見せたかったのもおじいちゃんだった。そんなことにその時ようやく気付いた。バカなわたしは。

おじいちゃん、わたしの結婚式はまだまだ先になりそうです。ひ孫はもっともっと先になりそうです。巨人の阿部は引退しました。弟は就職します。わたしは、元気です。美味しいものたくさん食べているから心配しないでよ。

おじいちゃんが生まれた月、優しい暖かさを持つ3月が、もうじき来るよ。