他人の人生

きわめて個人的なこと

置き忘れられるための傘

月が綺麗。大好きだった。人を大好きと言える自分に安心していた。好きになるのは絶対に、綺麗なものを見上げる時に隣にいない人だった。

 

同じものを見て同じ気持ちになることができなくても、同じものを同じ高さから見ることが必要で、それこそが幸せなのだと思っていた。思いを馳せるのは隣にいない人。隣にいる人のことを愚かな私は忘れてしまう。

 

たまに、ほんのたまに、誰のためにも生きていないことが虚しくなる。ふと立ち止まった時に守りたいものが一つもない。自分を大切にするのが面倒だ。セルフネグレクトの達人。丈夫で強い子。健康優良児。毎日泣いていたとしても、体はそう簡単に死なない。

 

軽薄な謝罪も、傷つかないための工夫も、作り物の無関心も、全て身につけてしまった。手に入れたいものは、意図的な涙や無意識の涙を駆使して手に入れてきた。イージーじゃないけれどイージーみたいな人生、白線の上だけを適当に飛び跳ねながら歩んできた。世間知らずで怖いもの知らずで苦労を知らない生ぬるい陽だまりの中でひたすら与えられ続けて生きてきたから、誇れる魅力が何もない。争いたくない。対立するくらいなら笑って誤魔化して折れたくなる。ぶつかるエネルギーが無駄だと感じてしまう。

 

何のために生きていますか。誰のために生きていますか。いつになったら私はマトモになりますか。帰り道、訳もなく涙が出そうになる。あー空っぽだなと思う。でも日々に大きな不満はない。戻りたい過去もない。ただ、本当に小さな不安が積み重なっていくだけ。

 

なぜだろうか、平凡な人間が、平凡に生きることってこんなに難しい。