他人の人生

きわめて個人的なこと

but then

眠れないのは自分のせいじゃないと思う。でも、他人のせいでもない。眠れないという事実があるだけで、ただ、それだけだ。もう8時を過ぎてしまった。

星野源オールナイトニッポンをひたすら聴いていた。ラジオってこんなに笑えて楽しくて気分が晴れるんだなと思った。星野源三浦大知、YOASOBIの二人が素敵な人たちなのだということがわかる回だった。デモワングランプリの一曲一曲への四人のコメントがプロ精神と愛に溢れていて聴いているだけで嬉しかった。まったく違う方向へ進む人々が同じ目線で物事を見ようとするときに、新しいものがうまれるんだろうな。世界に才能は溢れていて、同じテーマでも考え方もアプローチの仕方も違って、「あいみょんになりたい」と歌っていたあの人もあいみょんとは違う魅力をバチバチに放っていて、だから星野源に選ばれたのだろうなと思う。

noteのこと、好きな文を書く人の更新がなくなって、もうあんまり開かなくなってしまった。とりあえずその人のアカウントが残っているうちは登録解除しないんだろうなってくらいの、そういう最後の砦みたいな繋がり。前みたいにタイムラインも追ってない。ツイッターとの連動をやめたら馬鹿みたいに平和になった。そうか、ネットで出会うってこういうことなんだなと思う。いつのまにか消えちゃうよ、みんな。知らないところでしあわせになっていて欲しい人がたくさんいる。そういう愛する人たちのことは存分に書いた。過去を振り返る文は今は気分じゃない。スキは等しく嬉しいけれど、それでも特別なスキがあることは否定できない。去年の今頃、確実に自分を救ってくれていたのは尊敬する人からのスキだったと思う。良し悪しを自分の目で決められる人。こんなこと言うのは失礼かもしれないけど、多分頑固で自分とよく似てた。

ここ数日、嬉しい報告が立て続けに舞い込んできて、心がじんわりあたたかい。幸せになるべくして生まれてきた私たちが幸せにならなくてどうする。末永くお幸せに、できればずっと笑っていてね。人の幸せはどうして涙が出るほど嬉しいのだろう。本当は今すぐぎゅってしておめでとうって言いたいのにな。一緒に飛び上がって喜びたいのにな。ラインや電話だけじゃ全て伝わらないのがもどかしくて、早く会いたいなと思う。

自分が自分でいる/自分は自分でしかいられないことに対して諦められない往生際が悪い自分はずっと居る。長所も短所も「自分らしい」もの全てが面倒だ。愛嬌、そして、許す・許される愛情を持ちたかった、もう何年も前から。あの人の人生の一大事を私が笑い飛ばした時みたいに、きっと誰かが笑い飛ばすくらいの小さな悩み。次は福岡っぽい、それとも脱・九州か。フラグばかり立ってそこに私の意思はない。あの人みたいに、結婚控えてるんで、とか、彼氏や家族のこともあるんで、とも言えない。守るものがなにもない。守りたいものも。良い時も悪い時も、生きてるんだから、生きなきゃ仕方ないね。地元の方言の「ばってん」は、but then から来てる、なんて小洒落たことを言ってたの、誰やったっけ?