他人の人生

きわめて個人的なこと

いちばん届けたい相手には読ませたくない

はてぶろに書こうと思ってたものを間違えてnoteに出してしまった。はてぶろとnoteを明確に使い分けているわけではないけれど、何となく自分の中でのラインがある。

文を書く時、大抵自分に向けて書いている。でもたまに誰かひとりに向けて書くこともある。それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。天の邪鬼な性格だから、昔から、いちばん届けたい相手には自分の文なんて読んで欲しくない。嫌われたくないし、引かれたくないから。私の気持ちは私の気持ちであって、それを相手に向けるのは「言葉を突き付ける」ことと同じだと思っているから。でもそれは自己肯定感の低い人の言い分なのかもしれない。そんなこと考えもしない人だっているのだと大人になってから気づいた。目から鱗。「こんなこと言って大丈夫かな」「相手にとって迷惑じゃないかな」って考えるより先に行動して、それで上手くいっている人たちが沢山いることも知った。確かに考えてみれば、大丈夫かも迷惑かも受け取る相手が決めることであって、こっちが動かないと何も始まらない。なるほど〜と思った。関係性がなかなか発展しないのはこのせいだったのか。

好意と恐怖は紙一重だ。突然面識のない人に好意を向けられても「?」って感じだし、相手の言動や関係性など場合によっては恐怖だけど、こっちが好意を持っている人からの好意は嬉しい。そういうもの、それが世の常。なんとも当たり前だけど困難な世界だと思う。何の話かって、書いている私もよく分からない。

いい歳して恋愛で仕事に支障きたすなよと思う冷酷な自分がいる。そりゃあ恋をして浮かれたり失恋して塞いだりすることは誰にでもあるけれど、そういう支障をきたすではなく、周囲が呆れるほど恋でまわりが見えなくなって仕事を疎かにするのは、まあダルい。好きにやればいいと思うけど他人に迷惑をかけないでほしい。

まあそんなこんなで今日もだいぶ冷え込んでいる日記を書いている。今更はじめて逃げ恥を一話から観ていて、こういう恋がしたいなと思った。お互いを大切に、敬意を持って、育てていく恋。キュンが加速するって感じのやつじゃなく、じんわり心の奥からあたたまっていく感じのやつ。人間同士を大切にする関係性を築くやつ。書いてて夢みがちすぎて恥ずかしくなってきた。ドラマは夢をみせてくれるね。要するに、モテたりチヤホヤされたりしたいんじゃなくて、大切にされたいってやつだと思う。褒められるより存在を認められたいんだと思う。それは恋愛じゃないと叶えられないものなのだろうかと言われると、そうではないと思う。でも、恋愛がそういうのに一番近いというか、言い方悪いけど手っ取り早いんだよね。

恋をする気あるの?と聞かれて、分かんないと答えた。ふつーに分かんない。都合の良い手軽な駆け引きみたいなやつも面倒だし、たくさん遊びたいとかもない。次ちゃんと恋愛するんなら、結婚したい。良い人紹介するよって言われて肯定も否定もできない自分がダサかった。今自分に(用意してもらうほど)恋愛が必要なのか、本当にわからなかった。大企業勤めで年収高くて良い大学出てて資格もあって真面目な人、地元も近く。へえ〜って思った。会いたい!とも特に思わなかった。私に紹介しなくても引く手数多だろうなと思った。それが答えなのかもしれない。

もしもこの先いつか誰かと結婚することになったら、相手は私のブログやnoteを読んでも何とも思わない人が良い。もしくは、ブログやnoteを書いてることにすら興味がない人。本当は書いたもの読まれても平気な相手と一緒にいる方が良いのだろうけど、その方が性格や考え方は理解してもらえるのだろうけど、自分が書いたものを人に読まれることはとても恐ろしい。そういうつもりが無くても誰かを傷つけるかもしれない。ネットの海にこれだけの数の文を泳がせといてよく言うよって感じだけど、不特定多数に好きというのと、一人に向かって目を見て好きというのは全く違うでしょ、そうでしょ。