他人の人生

きわめて個人的なこと

自省

依存の上手な人は依存先が多い、と何の本に書いてあったか忘れてしまった。それと似たもので、人間関係が狭いと角が鋭くなってしまう、人間関係を広げてバランスを広げよう、みたいなニュアンスの言葉も何かで読んだ。三人だと三角だからぶつかった時に痛いし頼るところがないけれど、十人だと十角形だからぶつかった時のダメージも少ない、ってこと、なるほどなと思った。私が出会うべき言葉だったと思うし、出会えて良かった言葉だと思う。こういう言葉と出会って自分の考え方をまあるくしていくことが、読書の良さでもあると思う。

昨日からある一人のことを考えていて、それに対して反省すべきなのか改善すべきなのかが分からない。振り回しているのかも振り回されているのかも分からない。とにかく愛情みたいな優しさを注がれている気分。今、この優しくされているだけの距離感が最も楽なのだろうなということには気付いていて、でもこれ以上近づくときっと寂しくなるだけだとも何となく分かっている。人と人が近づき過ぎると急に寂しくなる現象にもう名前はついているのでしょうか。

私は大変横暴な人間で、相手からの好意に気づいたらとても我儘になる。甘えさせてくれそうな人にとことん甘えてしまう。どこまで許されるのか試したくなってしまう。ギリギリのドボンの一歩手前まで綱渡りをしたくなってしまう。こんなこと書くと軽蔑されそうだけど、自分が自分を一番軽蔑しているから大丈夫。何の大丈夫かは知らんけど、大丈夫なので批判しないでください。

表情ひとつ変えずに斜め上からふってくるカワイイにもキレイにもアエナクテサミシイにも、もう慣れた。受け取る全てがカタカナで脳内変換されて、競馬の馬の名前みたいだなと思う。確か競走馬の名前はカタカナ9文字以内、もし私が競走馬に名前をつけられるならば【アエナクテサミシイ】にしようかな。そんなこと考えながらそういう言葉を全部スルーしている私は人間的にどうなんだろう。確実に問題があると思う。素直な人相手に、素直になれない。素直な人は眩し過ぎて、言葉通りに受け取っていたら溶けてなくなってしまう。

そういえば元恋人から半年振りくらいに連絡が来て、一度返信してその後は既読スルーしている。一度自分の目の前から消えたものって、想像以上にもう欲しくないんだなと思う。執着は酷いタイプだけど、上書きも早いタイプ。今のところ上書きするものもないけれど、空白で上書きもできるってことだ。冷酷だと言われたことがある。自分でもそうなのかなと思う。でも、冷酷以外の手立てがあるのなら教えてほしい。優しさなんてデタラメなんだから。完全に脈がない態度を取ることが実はとても優しい答えだったりする。冷酷と呼ばれても、私はそうしたい。完全にノーと言わないと理解できない人だって沢山いるんだって思うから。私はギリギリまで優しくされたくないから。無しなら無しって言われたいから。

たまに物凄く寂しくて時間の過ぎない夜があらわれるときがあるけれど、これも一人だからまだマシだなと思う。二人でいる時に襲ってくる寂しい夜って本当に無理。誰とでも程よい距離は必要。ワンアームは必要。バスケのディフェンスかよ。あなたは既に私の別の依存先になっているから、新しく依存先に登録できませんって言って伝わるのだろうか。意味分からんだろうな。もう素直にただ好きとか楽しいとかだけで一緒にいられるほど利口じゃないんだよな。要するに、もう恋愛はこわい。やおいかん。