他人の人生

きわめて個人的なこと

20230922

先日友人が結婚した。結婚式に参列した。友人がたくさん笑っていて、その心からの笑顔にあたたかい気持ちになった。まわりが優先、いつも人のことを考えているような子だったし、真面目で自分のことはちゃんとできる子だったから、こんな風に力を抜いて素で過ごせる相手と一緒になることができて良かったなと親のようなことを思った。好きな人の幸せは嬉しい。ずっと幸せでいてほしいと思う。彼女が笑っていて心からほっとした。良い人と出会ったんだね。よかった。幸せになるんだよ。

 

人と自分を比べるのはナンセンスだとわかっている。だけど、結婚式が終わってから急に秋になったなと肌で感じた。ものすごく寂しかった。数年前から犬か猫を飼いたいと思っていたのに、どうやらアレルギーのようだということがほぼ確定して、それも追い討ちになった。私は依存先を探している。それはもうずっと前から。互いに認め合って支え合って、互いに互いが一番だったらいいな、なんて考えていた時もあったけれど、もうどこかで難しそうな夢だなと気づいている。今は我儘だと知りながらも、誰かに都合よく側にいて欲しいと思う。特にいまは、おかえりとおやすみが欲しい。

 

誰かにとってのたった一人になりたい。早く。勝手に追い込まれて勝手に自滅して馬鹿みたいだ。毎日一人相撲。体調は良くなったり悪くなったり。わかりやすくメンタルが体調に出る。こんなひ弱じゃなかったのに。私はもっと強くてちゃんと頑張ることができる頑丈な人間だったはずなのに。人間って簡単には崩れないのに、崩れ始めたら一気に終わるよなと驚く。一度思考を止めてしまいたい。立ち止まることができるのであれば立ち止まって考えたい。私は思考を巡らすのが遅い。人の二倍は時間が必要。それなのに、毎日歩きながら考えることしかできない。立ち止まる時間が許されていない。それで、いつも判断を間違う。久しぶりにぼろぼろに泣きながら駐車場を歩いた。完全に秋の夜風で、七分袖が寒かった。

 

神様は乗り越えられる試練しか与えないというけれど、私はもう当分試練なんていらないんです。平穏が欲しいんです。多くは望まないから、安心したいだけなんです。安心ってどこで買えますか。いくら払えば裏切られない確固たる愛を買えますか。

 

ぐちゃぐちゃに大切にされたい。幸せになりたい、とかそんなこと言ったら幸せじゃないみたいだけど、幸せなんだよ、ちゃんと。でもその幸せは、自分でつくって自分で完結してしまう幸せで、他人とのかかわりでうまれる幸せではない。どうして私は普通に恋愛して普通に結婚して普通に暮らすことができないんだろう。無理するなって言われても無理をして、素直になれって言われても嘘ついて、優しい人に甘えて怒らせて破綻して、いつまでも強い関係を築くことができない。どうやったら人を信じられますか。どうやったら自分を許すことができますか。なくなったと思っていた秋という季節は、まだちゃんとありました。私の思いやりや優しさも、まだちゃんとどこかに残っていますように。

 

今日もしっかり情けなくて最高に生きていると感じた一日でした。ショックな出来事が起こって、でも、ショックだと感じるということは、これまでが恵まれていて幸せだったのだと逆に明るく考えてみました。そういう捉え方ができた自分が誇らしい気持ちと、そんなこと言ったって現実は変わらないじゃないかという怒りのような悲しみのような苛立ちのような気持ちが同時に溢れて大変なことになりました。癖で胃でぐっと気持ちをせき止めるようになってしまって、右耳は少しよくなったもののまだなんだかぼんやりしている。

 

でも、あなたは元気に見えますよ、と言われて嬉しかった。元気に見えるのが取り柄だから。私は、社会的には元気だから。どんなに落ち込んだって、どこかで「ひとりぼっちなんてことはない」と思っている。だって、所詮人間は最終的には個であって、最終的には一人なんだから。めそめそしていたけど、今考えたらめそめそし過ぎたなと笑ってしまう。めそめそするのも疲れるのだ。だからあったかい布団でとりあえず寝る。それなりでいいんよ、それなりで。よく食べてよく寝る。

 

昨日はものすごい夢をみた。りんごを剥いて食べたら甘くてシャクシャクしていて美味しかった。シャツを羽織ったら柔軟剤が香って嬉しかった。おかゆではない普通のご飯が食べられるようになった。美味しいコーヒーの差し入れをもらった。今日もたくさん助けてもらった。良いこともたくさんあった。

 

どんなに安心が欲しいと願ったとしても、「想像した以上に騒がしい未来」しかやって来ないことは分かりきっている。自分の足で立つ。