他人の人生

きわめて個人的なこと

1031

帰り道、運転しながら、もうやだな、と思った。もうやだな、シンプルに、もうやだ。私の人生は平坦で生ぬるい人生かもしれないけれど、それでも歩くのに疲れてしまう時はある。ああ、他人の道を歩きたい、と思った。近所のアパートの前で、痩せた野良猫が一心不乱にカリカリを食べていた。日が短くなったから、最近寒くなったから、心が寒いのかもしれない。食べても食べても満たされないし、体の中には涙になるような水分すらない。

 

悲しいニュース。届いた訃報。投げつけられた言葉。傷つけてやろうと狙って放る言葉。吐き捨てられた言葉。でも図星だったからグサグサ刺さった。うまくいかない毎日。自分をうまくコントロールしなきゃ。人に何言われても大丈夫でいたい。私が私の自覚を持たなければ。幼稚な私は、付き合いたくない人とずっと付き合わなければならないという苦痛に一秒でも耐えられない。多分、本当は向いてない。まわりの出来事に心を乱されてばかりだ。

 

それが口に出したら品格を落とす言葉なのかどうかを判断できるようになること、そして「言わない」という選択ができること、私は人として終わりたくない。言葉は刃物。人間の形を保っていたい。反面教師。

 

心穏やかに過ごしたい。できることならば。

それなのに、「傷つけられず静かに食べるぶんだけ耕すような生活」が、未だにどこにも見当たらない。

 

一度立ち止まる勇気が欲しい。もうやだな、と思った時に、他を諦められる強さが欲しい。最近の私は全てが中途半端でどっちつかずでカッコ悪い。とても。ぜんぜん真っ当な生き方じゃない。馬鹿正直な性格だから、そういう生き方している自分がいちばん気に入らなくて認めたくない。

 

もうやだな。

もっと素直に、もっと上手くやれればいいのにな。取り繕うのにばかり疲れている。挽回する気力もない。一度乗ってしまった船の上で、このままゆらゆら浮かんでいくのか海に飛び込むのか、どうするんだろうな〜って他人事みたいに眺めている。きっとどうもしないのだろう。

 

以前だったらこんな夜に誰かにしがみつきたくなっていたのだろう。人に寄りかかりたくなっていたのだろう。今は、当たり前のように一人で耐える。一人は楽だ。あったかくない分、期待もないし、失望もない。年々、ひとりという気楽さに慣れてしまっている。

みんな、こんな世の中で、どうやって人と生きているの?器用だね。私の思う「私の欠陥」は、きっとずっと欠陥なのだろうと思う。だって、どこまでいっても寂しいし、どこまでいっても大丈夫。