他人の人生

きわめて個人的なこと

年末の戯言

もう嫌、何もしたくない、何も考えたくない、の波が数日前に一気に来て、ずるずると引きずっている。心が晴れない。全てをシャットアウトしたくてイヤホンを雑に両耳にねじり刺して、ありえないほど音量を上げてみる。全部捨ててどこかに消えてしまいたいけれど、今の私はそんなに身軽ではない。きっと大声を出しても暴れ回っても振り落とすことができない感情の奥底の部分が腐りかけている。ままならないことばかりで苦しい。半分眠って半分起きているような睡眠を12時間とって、憂鬱な夢をみた。夢の中ではちゃんと人を愛しいと思えている自分を遠くから見ている。いつも夢の中だけ。現実は苦い。本心にいちばん近いのはツイッターで、そこにすら本音の本音は書けない。自分自身が引くほど腹黒い。涙を堪えていたら鼻の奥から変な音が出る。安心したいよ。甘やかされたいし褒められたいし大丈夫だよって言われたいし都合よく守られたいけれど、その相手が人間だったらきっと重過ぎて私は死んでしまう。一生なんて軽々しく言うなって当たり前のようにさらっと言う人に絶大な信頼を寄せているし、ずっと一緒だよって言葉は作品だと思っている。自分が手に負えない。変わり続けることの何が悪いの。自分が変わると付き合うまわりの人も変わるんじゃないの。好きな人はいつか消えるものだ。人に絶望するよりも一人で楽したい。こんなことを思ってしまうところが生きることに対してずぼらで良くない。本当は許していないのに許していないまま忘れてしまったことばかりだ。前の車が全て左折していく中で自分だけ直進するのってとても勇気が要る。道から外れる、みたいな行為がとても怖い。真面目で頑なで面白くない自分が大嫌い。うまく怒れないのも、ヘラヘラ流してしまうのも、言いたいことを口に出してしまうと涙も一緒に出てしまうから押し黙ってしまうダサい選択をするところも、全部嫌い。嫌いだけど、付き合っていくしかない。大丈夫、好きなところもたくさんあるから、多分。今までも「もうちょっと頑張ろう」を積み重ねて生きてきたじゃん。これからもそんな感じでいいんだよ。

 

"逃げてもここは僕の海なんだ"

 

ことばって何のためにあるんだろうね。愛情とか目に見えないものの大きさを表して安心するためにあるなんて馬鹿げたこと言わないでね。一瞬の気の迷いで心を満たすためだけに人に寄りかかるのはやめる。やめたい。間違えたなって後悔している、表面だけ綺麗な言葉を、思ってもいないことをペラペラと連ねた夜のこと。最終的に自分に全部返ってくる。軽率な人間関係は後々もっと空っぽになるって知っているよね。衝動を抑えられないくらい悲しくなる前に、何か手を打つようにしよう。来年はもっと自分を好きになる。できれば、人を好きになる。守りたいだとか支えたいだとかそういう気持ちは人一倍強いのに、恋愛感情だけは習得できないのはどうしてでしょうか。ここまで書いたらもうだいぶスッキリしたのでメソメソくよくよせずに切り替えましょう。泣いたり怒ったりしたらお腹が空くんだな。12月30日がやってきた。