他人の人生

きわめて個人的なこと

気まぐれな劣等感

ネガティブハッピー、前向きな根暗と自分を表すことが多い。スーパーポジティブでもないし、元気もない、覇気もない、気を抜くとめちゃくちゃ声が小さい。腹から声が出ていないと子ども時代から何度言われただろうか。

自分のことは嫌いではない。生きてるだけで偉い!私はすごい!頑張り屋!と謎に自己評価が高い時もあれば、自分の存在が受け入れられないと否定的な気持ちになることも多いし、気まぐれに劣等感がやあ!と顔を出すし、自己肯定感が極度に低い時もある。「躁」の時は調子が良すぎるし、通常モードの時はマイペースに自分を嫌っている。

 

これだけならば、自分の性格なのだと諦めて付き合っていくだけなのだが、厄介なのが、メンタル激落ちモードの時に他人と関わり、人を振り回すことだ。喋っていないと不安、みたいな状態に陥った時、すぐに紙やブログに書くことができればいいけれど、そうでない時、たまたま隣に話しやすい人がいた時、悩んでいることをぽろっと口に出してしまう。元々私は人に悩みを相談しないタイプだし、弱そうな弱音(表現がおかしい)も吐かないタイプだし、人を信用していないところがあるので内心を全て打ち明けない臆病者だ。そういう人間がぽろっと口に出すので、やけに深刻な感じになる。言ってしまってから後悔する。自分らしくなかったなと反省する。一瞬の気の迷いで寄りかかった相手の時間と労力を奪ったことに自己嫌悪する。

この一連の流れを書いていて、我ながら意味わからんなと思う。

 

正直に言えば、ここ数年間は仕事に依存してきた。結婚を逃して、自分的大恋愛が終わって、もう仕事をやるしかないなと気合いを入れて、逃げるみたいに仕事をした。仕事で自分の居場所をつくろうと思った。私はいつも何かに依存している。それが仕事の時もあれば、恋人のこともあれば、まったくの他人のこともある。今仕事がなくなるときっと存在価値がわからなくなる。誰かに教えてもらわないと自分ではどうすればいいのかわからなくなると思う。それがこわい。たくさんの依存先があれば一つくらい失ってもこわくない。だから依存先を増やしたい。増やさなきゃいけないと思う。あと、依存先イコール自分の存在価値だという思考をやめた方がいい。ずっと頭ではわかっているつもり。だけど、自分が持っていないもの、無くしたもの、嫌いな部分ばかり見てしまう。他人に自己肯定感を上げてもらおうだなんて考えるな、自分で自分の価値を高めろ。そんなの、わかっている。わかっているのと、できるのは、違うのだ。