他人の人生

きわめて個人的なこと

20230409 考えたこと

眠れない、という使い古された言葉を駆使して寂しさを全世界に公開している夜の数を数えても数えても数えても誰にも辿りつかない。そんなことをとっくに知ってしまっている私が利口だとも限らない。

 

ずっと誰かの何かになりたい人生だった。誰かの何かになることこそが生き甲斐だと思っていた。それなのに未だに誰の何にもなれていないのはちゃんちゃらおかしい。バグってる。

 

春なのに、よく真っ当に生きているなと自分に感心する。ずっとマトモじゃないってわかってる。私は普段、賢くて利口な振りをしているから余計にタチが悪い。自分が恋愛体質で依存体質なことを思い出してしまった。それなのに人間が苦手なことも。手に入ったものを大事にできないことも。誰にも縛られず放っておいてほしいことも。色々を考慮した結果、今の状況があるということにも納得はしている。

 

それでも、たまにありえない夢をみてしまう。好きなひとを見つけて、その人に好かれて、結婚をして、ウエディングドレスを着て、こどもを授かり、こどもを育て、家族をつくって生きるなどという、叶いもしそうにない夢。実際のところ、半分望んでいて、半分望んでいない夢。

 

全力で仕事をやっつけ、家族のもとに帰る先輩を見ながらバイタリティがあるなと思う。大人だなと思う。キャパが広いなと思う。器用だなと思う。尊敬する。今の自分にできるだろうかと考えて、無理だなと諦める。欲張りになってはいけないのだ。一つのことに集中しないと、不器用な自分は全て取りこぼしてしまう。愛嬌が欲しかった。ビジネス愛嬌だけは何とかギリギリ身についた。それ以外はまったくダメ。

 

春は好き。春という季節は好きだよ。でも、春はいつも怖い。ずっと一緒にいられると思っていた人とお別れすることになったり、仲良くしていたと思っていたのに急に次の日に仲間外しにあったりする。ぬれぎぬを着せられて生徒指導室で正座させられたり、成績が良かったことを妬まれていじめられたと嘘の告げ口をされたり、他クラスの男子がかわいいと言っていたからと、すれ違いざまに知らない女子に調子乗んなよと言われたりする。もはやそれが春のことだったのかも定かではないけれど、春によみがえる記憶はいつも最悪。

そんな最悪の記憶を自分の都合の良いように解釈して逃げ続けた。がんばらなくてもある程度勉強ができた。部活でレギュラーだった。合唱のピアノ伴奏に推薦された。中学生の時は割と可愛いかった。だから私のことが羨ましいんだろうなって解釈してた。でもだからって無視したり悪口言ったりするのってダサって思っていた。そう強がりつつも、手を抜くところは手を抜いて、できない自分のアピールもした。

 

今の自分はそういう時代の集大成みたいで気持ち悪い。やりたいことを全力でやれなかった反動で、今はやりたいことを欲のままに叶える我儘な人間になった。愛嬌はないくせに、人に好かれるために絶妙に媚びるダサい人間になった。春が来るたびにメンタルをグラつかせてどうしようもないブログを書く人間になった。あ、これは春に限らずか。

 

この春、少しだけ昇進をした。自分の判断で仕事を進められることが増えて嬉しい、責任もあるけどワクワクする、権力を持って嬉しいタイプとそうでないタイプがあって、私は権力が嬉しいタイプなのかもしれない、と、久しぶりに会った母に話したら、「子どものとき、やりたいことを全力でやれなかった(言い方はアレだけど、周囲に邪魔されたり環境が整わなかったりで思うようにできないことが多々あった)から、今やりたいことをやれて自分の判断で仕事を動かせることが楽しいんだね」と言われて、なるほどと思った。母の目にはそう映るんだと思った。親には迷惑もたくさんかけたけれど、いま、社会的に自立して親を安心させられていることだけは嬉しい。

 

結局なにができてもできなくても、私は私を完全に好きになれることはないんだろうと思う。他人の評価が欲しい。他人の好きが欲しい。そう思ってしまうのをやめられない。人に迷惑をかけない程度に適度に人と関わりながら過ごしていきたいけれど、それがなかなか難しい。