他人の人生

きわめて個人的なこと

言わなくていいこと、言わないほうがいいこと

ご飯の食べ方綺麗だねと褒められた。上品に食べるね。妻は、箸の持ち方とかそういうの滅茶苦茶なんだよね、と続いた。後半はひとりごとみたいに聞こえたから、返事はしなかった。

 

「嫁」とか「奥さん」ではなく、「妻」と呼ぶ人なんだなと思った。私はちゃんと「妻」と言える人が好きだ。

 

可愛がられていることも、癒しだと言われていることも、気にかけてくれていることも知っていた。だからその役割をまっとうしたかった。それだけだった。それで自分自身の気持ちもそれなりによかったし。可愛いと言われるのはいつだって嬉しいし。

 

祝うと呪うって似ている。てかほぼ同じ。

 

結婚って不思議な制度だなと思う。箸が上手に持てるとか持てないとか結局関係なくって。あんなに愛おしそうな声で電話をする人いるんだと感動すらおぼえた。尻に敷かれてるんですよねとヘラヘラ言っていた横顔がまさに幸せそのもので胸がぎゅっとなった。私は死ぬまでにこの気持ちを味わうことができるのだろうか。

 

勝つとか負けるとかではないのだけど、選ぶとか選ばれるとかでもないのだけど、どうしようもなく惨めになってしまう瞬間がある。どんなに通過点で私が褒められたとしても、その先、最終的に選ばれるのは必ず私じゃない別の子だ、ずっとそうだった。褒められるのではなく、選ばれたかった。選ばれることはないのに気休めに癒しを提供するようなちょうどいいだけの存在になってしまったと理解したとき、一瞬だけ満たされた気持ちになって、その後とてつもなく消えたくなる。このジェットコースターも慣れたもんだね。こういうのは、モテとは言わない。

 

あの日、都合の良い人間に成り下がらなくてよかった。街灯が明るすぎて眩しかった。数時間眠ったらぜんぶ忘れた気になった。後ろめたさよりすがすがしさがあった。愛ってなんだろうと考えて、私にはまだない覚悟のことだなと気づいた。私は自分の馬鹿正直さを愛している。愛する相手がいる人間に興味なんかない冷酷な人間でよかった。人が手にしている綺麗に見えるものは、自分が手にすると途端に汚れてしまうって知っている人間でよかった。

 

君の苦手な食べ物をひとつ知ってしまった。忘れたくない、より、忘れられない、の方が数倍強い。