他人の人生

きわめて個人的なこと

ゴミ箱を空にする

この季節の夜が好き。網戸にして窓際で虫の声をきいてぼんやりする。珍しく何も考えることがない。考えることがないってとても幸福で、とてもつまらない。こんな心地の良い夜、誰と過ごしたいかなあと思いを巡らせてみる。誰でも良い気がした。この人といると満たされるな、という時と、この人といると寂しいな、という時の差は、大体相手のせいではなくて自分の心持ちなのかもしれない。異国の地でママチャリを押しながら歩く時、絶対に誰か隣にいてほしい気持ちはわかる。つかう言葉の種類が同じだけで安心するのもわかるし。少しでも同じ気持ちだってわかるだけで運命みたいに感じてしまうし。人間は繋がりを求める生き物だ。

 

いろんな人の生きてきた足跡を上辺だけなぞって、いろんな人の知りもしない背景を想像する。交わることのない人々について、想像することしかできない。人間が多すぎる。人生が多すぎる。ストーリーがありすぎる。誰も気に留めない、誰にも羨ましがられない、平坦な私のストーリーでも読むかい?

 

追いつかない時には諦めていいのだと思うようになった。諦めるのが年々上手になるよ。悪いことじゃない、安寧を信じられるようになってきた。自分の中で、いつ死んでもいいやって感情が減ってきたのを感じる。その証拠に、今はひとりで知らない土地を旅するのが少しこわいと思う。怖いものが確実に増えた。

 

本来の自分を思い出すことが多くなった気がする。この数年頑張った。なりたい自分になるために頑張りすぎたし見栄を張りすぎた。この前、元気ないですよねってさらっと言われてなんだか安心した。そうだよ、本来私は元気がない人間だったんだよ。社交的でも明るくもおしゃべりでもない、他人をビビらせる程に無口で他人に興味がない元気のない人間だったんだよ。すべて諦めるとか、努力をしないとかではなく、ちょうど良い諦念と共に生きられるようになってきた。

たぶん、バカなフリしていることも、本音を言いたがらないことも、自分に関することは全てはぐらかしていることも、バレている。バレているけれど、優しいから皆放っておいてくれる。ずっと恵まれている。生きやすくしてくれているのはいつも周囲の優しさだったなと思う。