他人の人生

きわめて個人的なこと

日記のつもりが映画の感想文になった

※映画「君たちはどう生きるか」のネタバレ、個人的な感想が含まれます。お気をつけください。

 

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今日こそ足の爪を塗り直すと決意するのに、同じ決意を毎日繰り返しているだけでどんどん爪の根元が見えてきている。こんなにうだつの上がらない生活をしていても、心身ともに自分の成長を感じない日々を過ごしていても、ちゃんと自分が生きていると爪がのびるというこんな小さなことで実感する。

 

多分、停滞期。目標と目的がこんがらがってしまって、生産性のないことを繰り返してしまって、何も成し遂げられないという焦りばかりが増えて、体も心も少し疲れている。誰を信用すればいいのかわからない時って、大体自分のことも信用できていない時。人に向かってニコニコする度に、ぜーんぶ投げ出したいなあ〜って毎日思っている。投げ出さないけど。真面目にやるけど。自分の停滞感や意識の低下が周囲に伝わるのはまずいなとも思っている。よくない雰囲気は一気に充満するから気をつけないといけない。それでも自分という一人の人間を保つだけで精一杯になってしまう夜ばかりで、少し気を緩めると泣いてしまいそうな日々。頑張りたくねえ〜。私には荷が重い。自分でやるって言っておいて今更何言ってんのって感じだけど。メンタルが強いねとこれまで何度も言われてきたから、メンタルが強い人でいなければならなくなった。最悪。

 

ここ数日家でご飯を作って食べていたら肌荒れが少し改善された。肌荒れの原因は荒れた食生活と荒れた睡眠だとは予想していたけど、ここまで影響していたとは思っていなかった。自分のためだけに毎食料理をつくるなんて面倒だと半年くらい自炊をほぼ放棄してきた。冷凍うどんをチンしたり、ご飯に卵かけたり、そうめんを茹でたり、工程が少ない作業じゃないと自分のためにしようと思えない。そうめんを茹でるのも茹でた鍋を洗うのがつらい。だからここ数ヶ月は冷凍うどんをチンしてめんつゆをかけるなどという野蛮な食事ばかりしていた。食生活がこんなんだから、それが他にも影響して、ご自愛が超絶下手くそになっているのではないだろうかと考える。

 

 

一昨日、君たちはどう生きるかを観た。友人に「週末に観にいくんだけどどうだった?」と聞かれて、うーん、謎...としか答えられなかった。二日経った今でも謎である。私は映画に詳しくないし、ジブリ作品を全て観たわけでもない、宮崎駿監督のこともほぼ何も知らない、あと作品を一度観ただけでは内容が完全に入ってこないという映画を語るには最も向いていない人間なのだけど、「謎」というだけでは無責任な気もして、少しだけ感想を書く練習をしようと思う。

 

話は逸れるけど、「謎」というだけでは無責任な気がするという気持ちについて書いておく。最近仕事でも生活でも「謎」と言うことが多くて、謎を謎のままにしてしまっていることに罪悪感が少しだけある。今までも謎を解決せずにふわっと荒波立たず生きてきた自覚がある。仕事の業務内容関係だったらマニュアルを引っ張り出したり電話して聞いたりして解決するけど、それ以外の人間同士で引っかかったところだったり、賛否両論ある話題にぶち当たったりしたときに、「謎」と思ってその「謎」がなぜ「謎」なのかを深く考えるのを避けてきた。理由は面倒だから。私は生粋の面倒くさがりやで、多分人間世界で上位一割に入るレベルだと思う。でも、そろそろちゃんと考える力をつけなきゃいけないと思う。考えが足りないからふわっとしたことしか言えないし書けないんだと自分のウィークポイントを自覚している。このまま自分の考えを表明できない、芯のない人間でいいのか不安もある。「謎」と思った時に、「何故」を分析できる人になりたい。

 

 

話を元に戻す。

ここからは映画の感想を思ったままに書くので「こいつ何にも理解してないな」「映画のこと何もわかってない」「自分はそうは思わん」などと感じる人が多いと思うけれど、あくまで個人的な感想だということを前提として読んでくださる方は読んでください。

 

 

まず最初にぶち当たった私的「謎」は、マヒトの父とナツコの関係。なんか急にナツコさんが駅にマヒトと父を迎えに来て、マヒトの父は仕事に行って、マヒトとナツコ二人きりで家に帰ってて、ナツコのお腹に赤ちゃんがいるってナツコがマヒトに言うところ。その流れが個人的にんんん???ってなって、わからんかった。最初は、マヒトの父は一夫多妻的な感じで、ナツコさんがマヒトの父の第二の妻だったってことか?それかナツコさんも戦争で夫を無くしてマヒトの父と再婚して正確にはマヒトの父との子ではないってことか?と思ってたけど、ナツコはマヒトの母の妹って出てきて、んんん???である。マヒトの父は、マヒトの母が亡くなった後、その妹と結婚したってこと?本当にこの解釈で合ってる?って、多分普通にそういう設定なんだけど、自分はその流れが受け入れられなくてびっくりした。自分がマヒトだったらめちゃグレる。マヒトも石で自分の頭殴ったりとかして多少グレてたけど。自分だったらナツコが行方不明になっても助けにいかない。たとえ自分の本当の母に会えるかもしれないとしても行かない。心のどっかでは母が亡くなったことは理解してるはずだから。だからマヒトのしなやかさというか対応力というか、そこに感心した。

 

アオサギは、多分ものすごく弱い人。強いものの皮を被っているけど、中身は人間そのもの。強いものにへこへこして、弱いものに偉そうで。自分だけでは何もできない。不安なんだと思う。人間の嫌なところ煮詰めてる感じやなと最初は思った。でも人情みたいなのもあって、次第にマヒトとちゃんと対話できるようになる。きっと相手がマヒトじゃなかったらアオサギもあんな風にならなかったと思う。出会う相手、関わる相手、直面する環境によって人は変わるってことだよなあ〜と思った。

 

大おじさんは、アオサギよりももっともっと、この映画の中でいちばん弱い人。自分の作り上げた世界をマヒトに継いでほしいと思っている。でもきっと、マヒトが継いだからといって自分が作り上げてきたものがそのまま遺るはずがないとも気づいていて、そこに寂しさのような無念のような気持ちを抱いている。マヒトに継いでほしいという気持ちやこれまで作ってきた世界が自分のエゴだということも分かっているけれど理解したくない気持ちもあるんだと思う。わからんけど。頭が良すぎる人が抱える孤独みたいなものってあるよなあと思う。頭が良すぎるあまり他者とうまく対話ができずに自分の世界を作ってそれを動かす人。それは作品としては美しいけれど、内容的にはかなりグロテスクではあるよなあ。インコ隊長が破壊してくれて結果的にはよかったし、本当は大おじさんも無関係な存在がこんなふうにぶっ壊してくれた方が都合がいいなって思ってたのかもしれないと私は思った。綺麗で緻密で美しくて素晴らしいものほど壊すタイミングが見つからないし、引き際も考えるし、もう元には戻れないという怖さのようなものもあると思うから、ぶっ壊されたら楽だもんね。楽になりたかったのかもしれないね。

 

マヒトは、ナツコを助けて上の世界に戻ってきたあとどんな風に過ごしたのだろう。大冒険をしたからといって人は簡単に変われるのだろうか。第一、あの父親と一緒に暮らすのってかなり至難の業だと思う。マヒトの父親、かなり身勝手じゃない?個人的には、マヒトの父親は生理的に無理だった。マヒトへの声かけや愛情表現(?)もめちゃくちゃ的外れだったし、身重のナツコに重いスーツケース渡すし、工場の人たちにも偉そうだし、良かれと思ってやってることが全て迷惑な人だと思った。言い過ぎか、ごめん。マヒトは母親のことも一旦は腑に落ちてしっかり心の中で母の死を受け入れて、反発していたナツコからの愛情も受け止められるようになった。でもみんなマヒトに負担かけすぎだよ、もっと子ども子どもさせてあげてよ、美談に見えるかもだけど、マヒトだからできたことだよ、マヒトだからできたとも言いたくないけど、我慢を強要するのも大人になりすぎるのもよくないよと心がギューっとなった。マヒトがヒミに渡されたジャムパンを食べるシーンで安心して泣いちゃった。まだ子どもだよねえ...って。

 

あとは、インコたちの生活やペリカンたちの生き様、弱肉強食の世界、命が巡っていく様子。この辺は辛い部分もあったけれど、自然や美しいシーンも多くてきれいだなと思いながらぼんやり見ていた。世の中には完全に悪だと言い切れるものって少なくて、ペリカンたちも生きるためにいのちを食べないといけないし、殺傷ができない下界のものたちのために魚を獲って捌く役割の人間がいるし、戦わないと生きていけない現実はある。マヒトも作中でなんとなくそれに気づきはじめていたよね。

 

子どものヒミはかわいかったね。そして勇敢だった。マヒトにもその強さと優しさみたいなのが受け継がれているんだなと思った。母親でも大人でもなんでも子ども時代が絶対にあって、体が大きくなっても大人になったとしても、みんな大きくなった子どもなんだよなあと思った。自分が大人と言われる年齢になってわかる、みんな大人の振りしてるだけで、長年の経験で大人の真似する方法を覚えただけで、子どもの頃とそんなに変わっていないんだよ。

 

大おじさんの世界がぶっ壊れて、表情や言葉を持っていたインコたちが普通のインコになって実世界にぶわあって戻ってきたシーン、画はすごく綺麗だったけどなんかざわざわした。世界線によっては言葉や感情を持つ生物が違うかもしれなくて、マジョリティとマイノリティが入れ替わって、当たり前が当たり前じゃなくなるんだと思ってざわざわした。インコたちが牛耳る世界、人間が牛耳る世界、神が牛耳る世界。私はたまたま人間が牛耳る世界に人間として生まれてきた。この映画を観ている人たちも同じ境遇で、じゃあこの世界でどう生きるの?って話よね。ちがうか。考えすぎか。

 

千と千尋でいうリンさんみたいな人が出てきた。私はリンさんがとても好き。これは余談。

 

 

私はこの映画を観ながらずっと「君たちはどう生きるか」っていうタイトルについて考えていたんだけど、それを考えさせるためのタイトルだったってことでいいですか?正直、作品中には明確な答えはないと思っていて、ただ、このタイトルにすることで私みたいに「どう生きるか...?」と考えながら観る人がいるわけで、それを各々で考えてくれ!ってことかなと受け取った。人によって印象に残ったシーンがそれぞれあると思うので、それが「どう生きるか」の答えのひとつとして導き出されるのかな。

 

 

色々書いていたらまとまらなくなりました。好き勝手に書きすぎた気もする。日記のつもりで書いていたけど、蓋を開ければただの映画の感想文だった。

 

久しぶりにちゃんと分量書いた。その日の感情なんて寝たら忘れるんだから、考えを深められる時にしっかり深められるように訓練したい。

 

 

おわり。