ずっと劣等感がある。上手く言い表すことはできないけれど、なんというか、自分の存在丸ごとの劣等感。
例えば人と話をするとき。相手の物の考え方や要領の良さを目の当たりにして、自分は浅く狭いなと思う。相手を尊敬するとともに、この人が難なくやってのけ、自然に考えつく物事が、どう努力しても自分にとっては結局苦痛なんだろうなと想像する。相手の爪を眺めてつやつやで綺麗だなと考えながら、細部まで気をつかうことのできない自分の爪のささくれをそっと隠す。気の利いた返事ができなかったことを後から思い返して少しへこむ。人と比べること自体がナンセンスで、誰にでも得意不得意があって、そんなことは物心ついたときから知っていたはずなのに、ぐるぐると考えた末に「それに比べて自分は...」という思考に着地してしまう。そんな時は「みんな違う人間なんだな」という答えで自分自身を納得させる。
ずっと劣等感がある。でも、それと同時に、自分は安全な場所で育ち、それなりに愛され、周囲に恵まれ、十分な栄養を与えられてきたのだという自覚もある。たまに思考のバランスが崩れると、その自覚が劣等感と化学反応を起こす。恵まれてきた、安全なところで生きてきた、生きるためのお金に困らなかった、親から大切に育てられた、苦労しなかった、それらが謎の後ろめたさに変わる。
そんな私だから、底抜けに明るい人が眩しくて、ずっと憧れている。ちょっとやそっとじゃへこたれない、何とかなるし何とかするという気持ち、楽観的で考え込まないタイプの人が隣にいると救われる。きっと見せていないだけでその人が考えこむ瞬間もあるのだろうけど、ベースがポジティブな人と一緒にいると安心する。見せかけでもいい。安心できるだけで私はしゃんと立つことができるようになる。
ずっと劣等感がある。その劣等感の根源は、自分自身への自信なんじゃないかとたまに思う。劣等感を持つということは、頑張れば自分だってできるという自信がどこかにあるからなんじゃないかって。
いくら人からどう思われるかを考えても、人の本心が見えるわけではないのだから、心のままに進むことも大事だよなともうずっと前から知っていたことを再確認する雨の夜。