他人の人生

きわめて個人的なこと

13日水曜→14日木曜

眠さのピークに達しているのに、背中と腰が痛すぎて眠れない。なんかもう全部投げ捨ててどっか行っちゃいたいな。約束も破って期待も裏切って無責任に放り出してすっと消えちゃいたい。でも行きたい場所もないし生きてみたい場所もない。このままのらりくらり歩き続けるのが正直一番楽だと思う。楽な道を歩いた先に何かがあるとは思えないけれど。

うまくいかないことが起こる度に、うまくいったことを何とか挙げて数えてみる。自分は不幸ではない。運も良いし周囲にも恵まれている。だからこそ自分に欠落しているものが綺麗に見える。それはそれはキラキラと。この年までこうだったらきっとこの先も変わることはないだろう。変えるのも難しい。自分に足りないところを考え出したらキリがない。うーんどうやって自分を受容していこう。良いポイントが他人ベースのものしかない。

理不尽なことがたくさんあって、生きるってことは面倒なことと向き合う作業で、だからとても毎日が面倒だ。他人が争ったり揉めたりしているのを見るのがつらい。他人が自分に対してでなくても暴言を吐いたり声を荒げたりしていると無駄に傷付くし、イラついている人が近くにいると何故か自分のメンタルが削られていく。たとえその苛立ちが自分に向けられていなくても。一人でいても「一人にしてくれ」と思うし、「ほっといて構わんでくれ」と思う。私にとって人と関わるというのはかなり難題で、体力も気力も他の人の倍は余裕で必要で、それなのになんとかやれてしまう。頑張ったらボロを出しながらもそれなりにできてしまう。ちょっと努力したらちゃんとこなせてしまう。カッコつけすぎてしまう。毎日、あ〜なんでこんなことやってんだろうと思う。「それなり」の自分を受け入れられたら多分楽になる。現状に満足できたら随分楽になる。焦りを捨てたら楽しくなる。それはわかっている。でも馬鹿みたいな真面目さがずーっと邪魔している。

去年の今頃に送ったライン、まだ既読ついてない。送った翌日には、あ、切られたなってわかっていた。少し寂しかったけど、ガッカリはしなくて、あ〜やっぱりなって思った。無事に生きていればそれでいいやって少しほっとした。そうなる予感はあった。あんなに一緒に騒いでたのにさ。同士がいるから大丈夫って無茶な働き方もできたし不満を泣きながらぶつけたりできたのにさ。吸ってみたいって言ったら煙草くれたのにさ。でもそれって私がかなり甘えていただけで、相手は私にギブしてくれてただけだった。最近考える、ギブしたいのに私はずっとテイクしてる。後から気づいた時には手遅れで、ギブばかりを当たり前にしてくれる人って急に消える。そう考えたら私は消えない。毎日消えたいと思っていたけれど、私は消えることができない。こんなにたくさんもらっているから。人に甘えているから、消える思い切りもない。気づかないだけでずっと奪う側の人間だったと思う。私はもう人から奪いたくない。時間も気持ちも労力も。奪っていると気づいてから更に人と関わるということが重く怖くなった。ひとはひとり。ひとりだからひとと言う。知らんけど。