他人の人生

きわめて個人的なこと

これから書くのは

これから書くのは私の汚い部分で、私の嫌なところで、私がもうずっと辟易していること。そして私の超個人的な話であり超個人的な見解でもある。それでも自らのこと、自分の偏った感情をブログに書くあたりが構ってちゃんだなと思うけれど、もうずっとこうやってネットに文を書いていると麻痺してしまうのだ。感覚が。それに、このブログを読んでくれている人がいるのならば、私が構ってちゃんで、うじうじと物を考えて答えを出せずに結局同じ場所にしか着地できない性格であることも薄々勘づいているだろうし、腹の底にどす黒いとまではいかなくてもグレーっぽいドロドロがあることにもとうにお気付きでしょう。知らんけど。

今年度中に一週間ほど休暇を貰えるかもしれなくて、その一週間で何をするかを考えていた。本当ならば旅行に行ったり帰省をしたり、友達に会いに行ったりしたいのだが、それは今は難しい。難しい、というより、無理だ。じゃあ、家で一週間ひとりで何をする?私の場合、一週間も家にいたら(しかも一人)、確実に死ぬ。人間として。多分社会復帰できなくなる。喋り方を忘れるし、寝て、起きて、食事をして、という生活が狂って何もかもわからなくなると思う。在宅で仕事をしている人は偉いなと思う。尊敬している。

話が逸れたが、出かけることができないのならいっそのこと副業をすれば良いのではないかと思い付いた(勤めている会社は今の期間副業可になっている)。早速、【副業・家】【副業・短期】などで検索してみる。私と似たような思考の人が多いのだろう、次々に副業の候補はあらわれた。

しかし、どれもピンと来なかった。ピンと来ないという表現は少し違うかもしれない。自分の思い描いていた副業と、実際の副業はなんとなく違った。私は副業でたくさんお金が欲しかったわけではない(もちろん、もらえるのなら欲しいよ!?)。暇つぶしをしたくて、普段の仕事とはまったく違う楽しくできる仕事や自分の趣味を活かすことができる仕事があればいいかなと思っていた。軽い考えだった。楽しいのならお金はいらないかなとも思っていた。副業は苦しんでやるものじゃないという想像があった。その上で、やりたいことが何もなかった。

まじか、と思った。私にとって仕事って仕事でしかないやんと思った。文を書くこと、鍵盤を弾くこと、それを簡単な楽譜におこすこと、本を読むこと、好きなことはあるけれど、私はそれを仕事にしようとしていないことが改めてはっきり分かった。好きなことをして苦しみたくないのだ。自分の納得することしか自信を持ってやれない。変に真面目過ぎるのだ。だから私は、今回の休暇で副業するのはやめようと思った。もしもするのならば、データ入力とか、段ボールいっぱい送られてくる内職とか、そういう本当に仕事っぽいことをしようと思った。多分しないけれど。

副業を調べているとよく出てくるのが、「自分の趣味や特技をいかしてできる!」という文言だ。そういうのを見ると、私の趣味も特技もお金にはならないなと感じる。得意な書く力をいかしてライティングの仕事をしています!という記事もみたけれど、そういうので成功している人って大体ちゃんとライターの講座を受講したり、書くための勉強をしたりしている。当たり前。仕事にするんなら、勉強しないといけないのだ。分かってはいる。でも、色んな記事を読んでいると、ライティングの仕事をしていると一括りに言っても中身は全く違うよなと思う。整った文を書いている人もいれば、これ本当にプロが書いたのか?お金もらって書いてる記事なのにこれでいいのか?と思ってしまう記事もたまーーーにある。

私は書くことが好き。書くことが好きというか、書かずにはいられない。人よりも思考のスピードが遅く、感情をまとめるのも遅い(まとまらずに暴れて終わることも多い)。だからそのぐちゃぐちゃを整理してまとめるために書く。とても身勝手な動機だ。そんな文に値打ちはないし、誰得でもない。あとから私が振り返って気持ちや思考を整理し、再確認するためだけの足跡。幼い頃から何かしらずっと書いてきたから、人より少しだけ書くのが得意だった。作文は褒められた。レポートもまわりより書くのがはやかった。それくらい。それくらいの才能。古本屋で他の本より20円くらい高く設定されている古本みたいな。古本にかわりはないのだけど。その才能を仕事にしたいとは思わないし思えない。自分のためだけに使うのにふさわしいくらいの才能。才能と呼べるかもわからない才能。

その才能を、私は適切に使っていないことがある。残念なことに、私は慣れたことに対して少しだけ要領が良い。だから、文を書く上でのウケるウケないをなんとなく判別することができるようになってしまった。

小学生の時に書いた創作童話が何かの賞をもらった。読書感想文もよく表彰されていた。何度か表彰されて、なんとなく掴んだ。【表彰されるような読書感想文】ってこんな感じだなとわかってしまった。そんな風に書こう、寄せようと思っていなくても無意識にそんな風な作文を書いてしまって(その型で書く方が楽だし)、出来上がった作文を読み返して「これ、多分入選くらいには入るな」と思っていた。実際にそういう作文は大体賞状をもらえた。ヤバい子どもだと思う。

そんな感じの人間なのだ。腹黒いと言われても仕方ない気はする。

最近のことで言えば、noteを書きながら「これはウケそうな、記事だ」みたいなことを考えてしまうようになった。noteはウケたくて書いているわけじゃないから、何かに寄せようとも、ターゲットをしぼろうともしていない(強いて言うならターゲットは夜中に起きている人)。でも、書き進めていく途中で、あ〜多分こういうのはウケるよな、とか、これは私がめっっっちゃ言いたいことを書いたけど多分そんなに読まれないなとか、勘でしかないのだけど何となく分かってきちゃうのだ。

すごく嫌われそうなことを書くけど、たとえば去年の春に出した一本のnoteは、おすすめに載るだろうなと思いながら書いた。載るだろうな、は、おこがましいか。おすすめに載れ!!!と思って、おすすめに載せるために書いたと言う方が正しいか。実際それまでの記事よりも書く時間はかかったし、そのテーマについてはずっと書きたいと思っていた内容だったので、前々から内容をあたためている部分もあった。その予想は当たったし、むしろ想像よりも多くの人に読んでもらえて、おすすめにもちゃんと(?)入って、その時思った。私、狙って書けるんじゃん。いちばん使いたくない才能と要領の良さの使い方してんじゃん、って。もちろん、書いた記事はそれなりに頑張って書いたし、気持ちを込めた。でも、下心があったのも確かで。とっっっても複雑な気持ちになった。

自分が持っている小さな才能を適切に使うってどういうこと?

今年に入って、私は既にやらかした。新年一発目に書いたnoteが、気付いたらまたもやおすすめ入りしていた。おすすめに入った時、やっぱりなと思ってしまった自分がいた。正直、その記事を書きながら、「これおすすめ入りそうだな」って思ってしまったのだ。程よい内容、程よい長さ、誰も傷つけない、程よい前向きさ。今回の記事はずっと書きたい内容でもあったし、読まれたいと思って書いた珍しい記事でもあったから、嬉しいことなのに。それでも、あ〜またやらかした、と感じてしまった。

私は私をエンタメ化したくない。それだけ思って書いてきた。noteを始めた初期の頃、ほとんどスキもつかない状態で書いていた時期、ある人から言われたことがある。あなたはセルフブランディングが下手ですね、うまくやればもっと読まれるようになるのに、と。自分でもそれはわかっていた。このことに限らず、セルフブランディングは下手だったから。それでもスタンスを変えず、自分のことばかり書いてきた。数年経って、読んでくれる人が格段に増えた今も、それは変わらない。変わらないけれど、なんだか自分がエンタメ化されているような気持ちになることがある。こういう感覚すらおこがましいのだけど。読まれるようになったと言っても過去の自分と比べてという話だし、セルフブランディングは今でも下手だ。だから、そこまで思うのは自意識過剰でしかないとは思う。それでも、これはウケる、これはウケない、みたいな偏った感覚(そもそも編集部のおすすめだって、出来が良い作品だから選ばれるとかではなくて、やっぱりどちらかというと万人ウケしそうな記事が選ばれている気はする)が変に身についてしまって、実際に予想通りおすすめに載ったりするとなんだか落ち込む、みたいな、なんとも言えないくそくそループを作り出してしまった。

私は私をエンタメ化したくない。私は私の書く力を私のために使いたい。こんなところ(ネット)でまで誰かの目を気にしたりウケるウケないとか考えて創作したいわけじゃないのだ。

私事ではあるが、昨年11月はじめに史上最大の失恋(当社比)をした。気持ちが落ち着いてきたと思っていたけれどまた気持ちがぶり返してきたり、急に絶望的な気持ちになってしまったりしていた月の後半に書いたnoteの記事が、編集部のおすすめ入りをしてしまった。もともと恋愛(それも失恋系)の記事が読まれやすいのはわかっていたはずだけど、読まれたくて書いたものじゃなかった。むしろ、こんな失恋の生傷みたいな文、読まれるのは恥ずかしいなと思う。ただただ、書かずにはいられなくて、その時の気持ちを書き殴って投稿した。そしたら、予想外に読まれた。読まれてしまった。ツイッターでもシェアされた。おすすめ入りして、note会員以外の人にもたくさん読まれた。まったくの想定外だった。そして、あ、私の失恋はエンタメ化した、と思った。

見ず知らずの人の失恋が拡散されて200もイイネと言われる世の中は狂ってる。読んでくれてありがとう。共感してくれてありがとう。涙が出たと言ってくれてありがとう。でも、恋の終わりを拡散された元恋人よ、ごめんね。もしこれを知ったらエンタメ化されたと思うかな。私は私をエンタメ化したくないんだ。個人的なことを好き勝手書いていきたい。パンクしそうな時はいつでも書きたい。自分のためだけに。そのくらいの才能だから。それに満足してるから。だって私にもしも本物の才能があったら、気合いの入った長文を書いたり歌を作ったりして、失恋なんぞ本物のエンタメにしてやりたいから。よく言われてることだよね、物書きとシンガーとは付き合うな、って。一般Peopleの私に中途半端にエンタメ化されるのなんて最悪だよね。何度も言うけれど、私は私をエンタメ化させたくない。たくさん読んでもらえて嬉しいけれど、個人的なことを安心して書く場所がある方が嬉しい。でも私は構ってちゃんだから、たまにウケるだろうな〜って思いながら書くんだろうね、まじでどうでも良いことを。ほんとに読まれたいことって、笑っちゃうほど読まれないしね。それが世の常。なんの話や。

読み返さず投稿しちゃいます。すみません。って、誰が読むかいな。明日の私が読んで?????ってなってるだろうな。おやすみなさい。