他人の人生

きわめて個人的なこと

あたまでっかち あなたせっかち

思うところが多過ぎて、考えることがありすぎて、思考回路が壊れた。自分のためにやりたいことが沢山あるはずなのに、ひとつひとつの作業の途中で色々が舞い込んできてその度に手を止めて、を繰り返して結果自分のことはなにひとつ解決していない。

愛用のスニーカーがトイレに流れる夢をみた。悪夢だな〜と思いながら、それでも一日を何事もなく終えようとしていたのだけれど、一日の終わりにそれはそれは最悪な出来事が起こってあ〜夢の通りだ〜と思った。

その翌日はゾンビみたいな人間みたいなよく分からないものに追いかけられて逃げ回るという、これまた悪夢をみた。寝ている時でさえ落ち着かない。

とりあえずメンタルビッチをやめたい。他人の気持ちがこわい〜ぴえん〜とか言っているものの、その種を蒔いているのは自分だという説も否定できない。昔から分かっているんだけど八方美人しちゃう。しかもビジネス八方美人だから、ビジネス用自分を気に入られて、普段用自分とのギャップに引かれてジ・エンドパターンが多すぎる。いけそうでいけない女をやめる。ヘラヘラしてるから舐められるんぞ。いけなさそうでいけない女になる。

いつもは何も見えなかった関係に、突如性別の壁がダンッと立ちはだかる瞬間が生々し過ぎてきもちわる、と思うくらいなら、初めから自分が女性として扱われないように細心の注意を払えば解決するかもしれない。リスクマネジメント。言葉の使い方合ってる?

とは言え、自分の中で「大丈夫な人」と「大丈夫じゃない人」がいて、感覚でそれは勝手に分類されていて、それは「生理的に無理か無理じゃないか」っていうところとかかわるのかなあ?私という人間に対して言葉をくれる人のことは好き。私の年齢とか性別とかそういうのに付け込んでくる人は嫌い。でも可愛いと言われるとなんだかんだ嬉しい。自分の芯がどこにもない。あなたは家でも元気で明るくてずーっと働き回ってるの?部屋ピカピカそう、とかってよく言われる。私家ではこんなんじゃないです、実はこんな性格じゃないんですと言ってもなかなか信じてもらえない。「元気ないことある?疲れてることある?ないでしょ?」と言われたのにはさすがに笑うしかなかった。私はスーパーサイヤ人か。

良い時も悪い時も、今はそういう時だと思ってコツコツ生きるしかないし、実際そうやって生活してきた。私は運が良いなと感じることが多く、わりかし好きな人生だなと思う。足りないものに目を向ければいくらでもあるけれど、それよりも私を大事にしてくれる人のことを私も大事にしたいなと思うし、実は他のことはそこまで大切ではなく、それだけで良いのだとも思う。でもぶっちゃけ五億円欲しい。