他人の人生

きわめて個人的なこと

知らなくていい

ずっとくしゃみしている。一回一回のくしゃみに迫力がある。かわいいくしゃみの習得にはまだまだ時間がかかりそうだ。気づいたら秋が来ている。虫の声がする。花火も見ず、かき氷もスイカも食べず、海にも行かず、賑やかで寂しく、しっかりと愛されたかった記憶だけの不健康な夏が終わる。秋は夏よりも分かりやすく寂しくて良い。星が綺麗に見える。心地よい夜。ずっとくしゃみしている。

 

追い込まれ度としては生きてきた中で一番かもしれない。これまでも辛くてどうしようもなかったことはあったし、目に見えて元気をなくしたり泣き喚いたりした日があったし、今はそんなに酷くボロボロになってはいない。私が強くなったから。当社比。サイレントに苦しんだり、そこら辺の人に愚痴や弱音をこぼしたりしながらのらりくらりやり過ごしている。右耳がずっとおかしい。耳は自分の数少ない自信のある部位なので、聴力が鈍るのはかなり困る。利き耳が左なので今のところ助かってはいるけれど。しっかり休んでしっかり眠れば治るのだろうと思う。これまでもそうだったから。もう少しの辛抱だと言い聞かせて何ヶ月経っただろう。心が良くない方に傾く。自分を責めても何の意味もないのに、ダメなところばかりが浮かぶ。反省は必要だけど、自分をおとしめる必要はないと言われて、その言葉は救いだと思った。大丈夫、心の奥底ではちゃんとわかっている。今は少し疲れているだけ。私はなんだかんだで生きていける強さがある。

 

上司でも同役職でもない相手に弱音を吐くのは違うと思う。それでもついつい甘えて言うべきではない相手に弱音を吐いてしまうし、それがないと駄目になってしまっていると思う。たくさんの人が助けてくれる。たくさんの人が味方になってくれる。たくさんの人が頑張っている。私は頑張って前を向きたいけれど、今どこが前なのかわからない。明確な目標のない私のこと、私が一番不安視している。このままじゃいけないのに、自分の個人の状況と、周囲に見せる背中は分けなければならないのに、なんだか理想ばかりにとらわれてうまくいかないことばかりだね。

ダメなところにも弱いところにも十分ぶち当たったし、もうこうなったらとことん自分のありのままを見ればいいよ。いつか諦めはつくよ。弱音を吐くたびに自分が嫌になる。言わなければよかったって後悔するくらいならはじめから言わなければいいんだよ。言って軽くなるのは一瞬で、その後に倍になって重くのしかかってくる。それをわかっているから言わないこともたくさんあって、そうだ、元々私は悩みを発散するよりも、自分でむしゃむしゃ食べるタイプだったじゃんと思い出した。

右耳がずっとぼんやりしていて、秋みたいにくすんでいる。それでも歌いたくなるし綺麗な音を拾いたくなる。生きるという行為はしぶとくて大好き。才能も人の心も愛情も、当たり前に手に入らないものばかりで伸び代しかない。他人から与えられる安心ってどこに落ちているのだろう。性善説で生きているはずなのにいざという時に信じられないのってどうしてだろう。そんなことを考えながら夜の新鮮な空気を吸って、私はこれからきっとどんどん元気になっていく。