他人の人生

きわめて個人的なこと

2020

雪がやんだ。

今年はじめての雪。出社時、空気が痛みを感じるくらいに冷たくて、とうとう季節が本気を出したんだと思った。退社時、水色の愛車の上にうっすらと白い雪が積もっていて、その色合いが可愛かった。つくりものじゃない雪が降る。夕方、近所のこどもが「ゆきゆきふれふれもっとふれ〜」と叫び歩いていて、無邪気さが苦しかった。滅多に雪の降らない地域で生きてきたから、雪を見ると大人になっても少しだけ心が揺れる。お菓子の缶に、雪を入れて大事にしまっていたこども時代の私がたまにひょこっと顔を出す。雪はセンチメンタルの材料にもなる。もし別れていなければ、こんな夜は【くそほどさむい】と品のないメッセージと少しだけ積もった雪の写真が送られてきていたのだろう。もうそんな夜は来ないけど。

夜中に慎重に車を走らせながら、あと一日で今年が終わるんだなと思う。ありえない一年だった。今年の一月は、ウイルスでパニックになることすら想像せずにモロッコに旅行に行っていたし、オリンピックが開催されると思っていたし、熊本から脱出する一心で生きていた。2020年が終わろうとしている今、世界が大きく変わった。よく考えた、必要不可欠について。エッセンシャル、エッセンシャル、と頭の中で反芻していた。私の仕事はエッセンシャルなのだろうか。ステイホームとあれだけ叫ばれているのに毎日職場に出かけ、人と接する最前線で働いて、仕事のやりかた自体は何も変わらなかった。たしかに私たちを必要としてくれている人たちはいて、でも必要不可欠とは言い切れなくて、業界の景気はどんどん悪くなる一方で、なんとか助けてくれようとした政策へのありがたさと振り回される疲弊、その政策への批判を自分のもののように感じる夜もあって苦しかったり、その苦しさが「やっぱり私の仕事はエッセンシャルではない」と思う材料になったり。それでも前ばっかり向いてたら何となく前に進んできた。何度も読み返したい一枚のメモ、【この大変な中、おもてなしをありがとう、ゆっくりくつろぐことができました】。ありがとうと言われるとこっちが救われちゃうよ。毎日綱渡りで、本当はもっともっともっと褒められたいしお疲れ様って言われたいけれど、きっとそう望む大人が世界中にいるんだろう。満たされないから文を書いたりSNSしたりそんなことでバランスをとりながら、割とちゃんと生きたと思う。

仕事納めという概念がない。365日24時間まわっている休みのない私の職場、地球と一緒に回ってる。いつかこの仕事をしてましたって胸を張って話せる日がくるのだろうか、早く生活プラスアルファの楽しみをサポートできる世界に戻ってください。2021年には、会いたい人に会って行きたい場所にも行ける世界に戻っていますように、人生はいつでも今が踏ん張り時、私は生まれてからずっと踏ん張ってる、それが私だからそれでいいか。優しい人に恵まれている。私は生まれてからずっとラッキーだ。散々なこともあったけれど、2020年、私と出会ってくれてありがとう、私と出会い続けてくれてありがとう、来年こそは本当に会って話そうね。