他人の人生

きわめて個人的なこと

swim

近況。タイトルは昨日書こうとしてやめたnoteのタイトル。下書きも消しちゃった。書きたかった内容も忘れてしまった。

 

仕事を辞めようと決意してから半月が経った。未だに退職の決意を上司に言えていない。というか、退職を決意してから上司に会っていない。月に一度会えるか会えないかだ。次に確実に会えるのは15日以上先。早く言いたい。だけど、電話やメールではなく、直接言いたい。早く言わなきゃいけない。次の人に仕事を引き継いでいかなければならない。私は、少しずつ綴じていく。自分のすべきことと誰かに渡すものを分けて、綴じてゆく。

辞めると決めてから、仕事の手は抜いていないけれど、確実に「半年後自分はいないから」という線引きのようなものが芽生えていて、どんなに懸命に取り組んでも少しだけ虚しくて寂しい。これまで築いてきたもの、評価されたこと、うまくいかなかったこと、中途半端になってしまっている案件。未来の話が積極的にできない寂しさ。そういうものを全てひっくるめて、それでも糸を切るのならば今だと思った。自分の決断と選択を愛している。いいよ、十分頑張ったよ。自分の力量以上のことを経験させてもらった。信頼して任せてもらった。今は随分と慣れて楽しいし、もうチームを動かすことの楽しさを知ってしまったら一般社員には戻れないなという気持ちすらある。だけど、ここまでくるのに相当苦労した。去年一年は地獄だったし、去年の夏頃に耳が聞こえづらくなって、謎の高熱と胃腸炎を無理矢理一日で治して出勤したときに、ああ私はもうだめだと思った。一旦立ち止まらないと気づかないうちに壊れると思った。割と抱えるタイプだ。私の良くないところ。仕事をうまく振れない、信用して任せられない、後先考えず自分の体力を過信してしまう、人前でかっこつけてしまう、頼れない。

 

その後数ヶ月かけてなんとか持ち直して、今に至る。少しマトモに思考ができるようになって、やっと退職を決断できた。

 

今の仕事はなんだかんだ言いつつも楽しかった。向いているかと言われるとあまり向いていない仕事だったかもしれないけれど、やりがいもあったし、何より周囲に恵まれていた。文句や愚痴を言いたいわけではない。楽しかったし、その分、シンプルにつらかった。いつも何かしらに不満があって、それを燃料に働いていた。いいの、ハングリーじゃないと食べようと思わないし。何を燃料にしてもいいんだよ。よく頑張ったよ。心身ともにゴリゴリ体育会系でのし上がってきた。本当はそんなの望んでいなかったけれど、残念なことに私はゴリゴリ体育会系に適応できるタイプだったのだ。無理だと言いながらしぶとく走り続けてこれてしまった。最悪だ。

 

まだ上司にも言えていないのに、退職の気持ちは日に日に固まっていくし、退職日も近づいていく。

 

けっこう怖い。新卒からずっと勤めてきた会社だ。退職も転職もしたことがない。辞めた後のこともふんわりとしか決めていない。社宅を出てから行くところがない。実家に帰るのか、どうするのか。できるだけ迷惑をかけないタイミングでと思って色々の区切りがついた時期を選んでいるけれど、それでも職場の人に申し訳なさもある。板についてきた仕事、慣れた環境、助けてくれる同僚、安定した仕事と増えてきた収入、手に入れたポジション、そういうの全てを投げ捨ててまで次にすることが大事かと問われたらそうでもない。なんでもよかった。誰でもよかった。右手の手相、運命線が真っ二つにわかれている。もしかしてこの決断はこの線と関係がある?手相見れんから知らんけど。

 

二十代後半の私はどこか色々を諦めたところがあって、捨てられるものをことごとく手放そうとしてきた。一寸先も見えない人間って、失うものがなにもない。人生なんでもありで、こんなちょっとむちゃくちゃな決断も旅行先の空港で思いついてそのまま決めちゃったりする。別に希望がないとか夢なんて馬鹿馬鹿しいとか思っていない。努力すればそれなりに叶うこともあると思っているし、自分のことを信じてもいる。どこにいても何をしても、楽しいことにも苦しいことにも出会うし、それはそれで結構幸せだと気づいている。だけど、根底には「飽きるのが怖い/飽きられたくない」「捨てられる前に捨てたい」「変わらないこと・停滞することが怖い」という恐れがある。ずっとずっと臆病。

 

一人いなくなったところですんなりまわるのが地球です。一人いなくなったところで大して変わらないのが職場です。できるだけ迷惑をかけないようにと作る引き継ぎ書やマニュアルも無意味かもしれないし、私が抱く去る寂しさや申し訳なさも無駄かもしれない。少しだけ感傷的になりながらも、ずっとここにいるよ〜みたいな顔で働いている。これ以上自由なことなんてないと思っていたけれど、まだ自由になりたいと思ってしまうのはどうしてだろうか。愛されたいおばけは旅人になりがちだと言っていたのは誰だった?思い出せない。