他人の人生

きわめて個人的なこと

書けない毎日

全体的にしんどい。体感としては、生活の8割以上を仕事が占めている。当たり前に定時で終わる業務量ではないし、問題が次々に降りかかってくる。一難去ってまた一難、のペースで来て欲しいのに、難難難難難!!!!!!とお構いなしに襲ってくるのでどうしようもできない。ねえ、私はいつになったら安心して休めるのでしょうか。年度内に目標達成して退職するという決意は忘れてしまった。目標達成どころじゃない。ギリギリ、生きている。余裕がほしい。

 

だけど、ひたすら仕事をしているから向き合わずに済んでいる問題もたくさんある。なんなら、向き合うことから逃げて仕事ばかりしているようにも思える。これからのこと、方向性も生き方も時間のつかいかたも親孝行も老後のこともお金のことも、あらゆる考えるべきことから逃げ続けている。

 

こんなはずじゃなかった、って思いたくない。今の仕事ばかりの生活は、今の自分だからできることだとわかっている。これも一つの人生勉強だとも思っている。だけどこんな働き方、ずっとは続けられない。この先、きっと体力にも限界がくる。若さと勢いだけでは許されないことも多々出てくる。周囲も変わっていく。どこにいても、「ずっとこのまま」なんて生ぬるい場所はない。

 

本当はちゃんと考えたい。計画もたてたい。じっくり思いを巡らす時間がほしい。一度心を落ち着けて信頼できる人と話をしたい。行ってみたい場所に行ってときめきたい。人と会って穏やかな時間を過ごしたい。自分のために手の込んだ料理をつくりたい。誰かのために何かをする時間をつくりたい。本を百冊読みたい。グランドピアノを弾きたい。空を眺めたい。でも、今はできない。限られた時間を「労働」に充てることを今の自分は選んでいるから。これが正解か間違いかはわからないけれど、選んだ道を正解にしたいと思う。嫌いじゃないんだよ、働くことは。ただ疲れ過ぎているだけ。もう少し器用な人間だったらよかったなあ。でも今さらそんなこと言っても仕方ないか。

 

まだまだつらい日々は続くし、目の前に片付かない量の仕事も問題もあるし、家に帰っても当たり前にひとり。あーあ、帰ったらおかえりって言われたいよ。どんなにしんどい毎日でも、眠る前におやすみって言えたら安心できるのに。わかりやすく必要とされている実感がないのって実は寂しがり屋な人間にとってはけっこう堪える。それでも、自暴自棄にならないで。助けてくれるみんなに感謝をして。あとは、一番に自分の体と心のことを考えて。自分をいちばん大事にできるのは自分しかいないんだから。あとひと踏ん張りしたら休みたいだけ休もうね。あなたは十分頑張ってるよ。