他人の人生

きわめて個人的なこと

当たり前に目が覚める

あたたかい二月の昼間、汗だくで浴場のタイルを磨きながら、脈絡もなくふと思った。「大人数での飲み会が苦手な私が、大人数での飲み会を好む人を理解できないと思うように、大人数での飲み会が好きな人は、大人数での飲み会が苦手な私を理解できないと思うのだろうな」と。

 

え、いきなり何?

って話だけど。

 

「理解できない」というのは言い過ぎかもしれないし、なんというか、言葉のあやみたいなものだけれど、私は大人数での飲み会が多分苦手だ。多分、というのは、このご時世で会社でも飲み会自体をすることが全くなくなったことと、現在身近に飲み会が好きな人がいないため、そういう機会がないからである。でも、コロナ禍になる前は会社の飲み会もあったし(数としては少なかったが)、大学のサークルやバイト先でも飲みの場は多かった。それらを振り返ってみても、やっぱり「苦手」だと判断せざるをえない。いくつか理由はある。

 

まず、私には一人になる時間が必要だ。人といることは好きだけれど、自分だけの空間に閉じこもる時間も必要で、それがないととても疲れてしまう。「人といるのがストレスになる」という現象が起こりうる。

 

次に、大勢でいるとき、私は誰の顔を見ればよいのかわからず混乱してしまう。誰かが発した言葉で誰かの顔色が変わったり、皆が笑っている中で無理している顔の人がいたりして、それらひとつひとつにそわそわする。そして、同じように自分の存在や振る舞いもこの空間で異質ではないか、楽しそうにみえているかが気になる。とんだ自意識過剰だ。もちろんその場は自分なりに楽しいと思っていても、周囲の喧騒が落ち着かない。大勢での飲み会が疲れると感じるのはそのせいだと思う。大学時代の飲み会のあと、私はいつも自分が嫌いになっていた。

 

あと、シンプルに仕事が終わったらさっさと帰りたい。家に帰って制服脱いで自由になりたい。仕事帰りに皆で飲みに行こ〜という気持ちに、自発的にはならない。

 

私は、そういう性格だ。

そういう私の性格を、理解できないと思う人も多いのだろうなと思う。

昼間、タイルを磨きながら、突然そんなことを思ったのだった(突然過ぎて自分でも驚く)。

 

 

よく考える。

人間の本質について。

「もともと人間が好きな人間」と、「そうでない人間」が存在すると思う。「人といるのが苦ではない人間」と、「一人でいるのが苦ではない人間」が存在すると思う。どちらが良い悪いではなく、そういう人間の種類があるだけだ。

私は、きっと、あまり人間が得意ではない人間だ。個人的には、このことについて残念だと思う。人と飲みに行ったり関わったりお喋りしたりするのが最高に好きな性格だったらもっと上手くやれたのにと悲しくなることも少なくない。

だからこそ、自分とは真反対の人に出会うとその人がとてもキラキラとして見える。人を愛し人に愛される人間(サ○シャイン○崎みたいな言い回しになってしまった)、何の疑問も持たずに当たり前のように人と関わり、相手の懐に入っていく人間。いいなと思う。羨ましいなと思う。そもそも搭載されているエンジンが違うから、自分がそうなれるともなりたいとも思わないけれど。

 

自分の性質について考えたとき、人に対して、この人すご〜、理解できねえ〜、自分はこんな振る舞いできねえ〜、と思うことがまあたくさんあって、割と自分はギリギリを生きているんだなという感覚になる。けっこう危ない世界線を綱渡りしているんだなと思う。

 

毎日とても楽しいけれど、たぶん死ぬまで寂しいままだ。この寂しさは、マイナスの感情というよりも、付き合っていくしかない寂しさだ。誰にでもある寂しさだと思う。

 

 

こんなことを書いたけれど、人と話すのは好きだし、誘ってもらえたら遊んだり飲みに行ったりするし(あまり自分から誘うことはない、こういうところかもしれない)、それらを心から楽しいと思う気持ちもちゃんとある。私が書きたかったのは、その人が元々持っているものってそれぞれ違って、違うからこそ当たり前に「理解できない(シンプルに自分が普通に思考したらそこに辿りつかない)」が発生するんだよなってこと。要するに、当たり前のこと。

 

何でも型にはめすぎるのは良くないけれど、MBTI診断を何度やっても INFJ-T になるので、傾向を調べてみたらそこそこ当たっている気がした。そして、少し楽になったというか、安心した。私の人生、まわりから見たらスイスイイージーモードに見えることもあるみたいだけど、何故か妙に生きづら...と感じることが多くて、でもそれをうまく表現できずに人に言えない...となることが多かったので、自分はこういう人間なんだと知ることができたことで少しほっとした。なーんだ、私って元々こういうとこあるんじゃん、だったらそうじゃん、仕方ないじゃん、って。

 

 

ここまで本当に当たり前のことしか書いていない。人生28年、今でも当たり前のことを目の当たりにして、ぱっと目が覚めることばかりで楽しすぎる。日々が発見の連続。日々、人間修行中。