他人の人生

きわめて個人的なこと

半年間、世界一頼りにしていた人のこと

去年の春から秋にかけて、仕事において頼りすぎていた人がいた。役割としては私が(名目上は)上司だったけれど、年齢も歴も上のその人は心と仕事の安定感があってとても信頼していたし、その人がいれば大丈夫だとなんとなくそう思っていた。当時、頼りすぎて迷惑をかけすぎて申し訳ないなとも思っていたし、自分の立場上本来であれば言ってはいけない、吐いてはいけないであろうことも言ってしまっていたと反省しながらも、そうしないとやっていられなくてかなり甘えてしまっていた。私の安定剤だった。はっきり言える。彼がいなかったら私は壊れていた。

 

秋、その人の異動が告げられた時にはショックで死ぬってこういう感覚なんだなと実感したし、その日も次の日も家に帰ってからは涙が止まらなかった。彼がいなくなるという現実を受け入れられなかった。依存していたし、執着していた。その人なしではやってこれなかった部分が多過ぎてこれからどうすれば良いのか途方に暮れた。

 

私は、仕事を辞めようと思っていた。昨年の春に移った新しい場所がしっかり軌道に乗り、安定したらそのタイミングで退職しようと思っていた。ここまで達成したら退職するという具体的な目標もたてていた。だけど、新しい場所は想像以上に過酷で、簡単にはいかなくて、うまくいかないことばかりだった。就職してから昨年が一番辛くて苦しかった。何より自分の力不足が最も辛くて、自分のせいで皆を泥舟に乗せてしまって苦労させてしまっているのではないかと毎日不安で罪悪感があった。残業続きで体もきつかった。重なるストレスで体にもたびたび異変が起きた。そんな地獄みたいな毎日を少しだけ大丈夫にしてくれていたのが彼で、仕事面でも、スーパーポジティブな楽観的な姿勢にもとても助けられた。私のいないところで「マネージャーを助けてあげてね」って他のスタッフに言ってくれていることも知っていた。私が休めるように仕事を進めてくれたり、私が高熱でダウンしたときも代わりにその日の予定をこなしてくれたりした。困ってどうしよう...ってぼんやりしていたらひょこっとやって来るような頼りになる人だった。人に「助けて」が言えない私が「助けて」を言う前に手を差し伸べてくれる人だった。

 

いてくれないと、無理だった。何がなんでも手放したくなかった。彼がいなくなったら私は壊れると思っていた。彼がいても限界だったのだから、いなくなったら潰れるとわかっていた。失いたくなかった。

 

退職しようと思っていたから、後任を育てなきゃいけないと思っていた。だから私は春からずっと彼を推薦し続けた。新たな役割を持ちませんか?と彼に言い続けた。実際やってもらっていた仕事の内容と同じことをすればいいのだ。役職名をつけるかつけないかの問題だけ。彼が責任者になれば、安心して自分が退くことができるという自己中心的な考えもあった。半年間言い続けて、やっと彼に役職がついて、同タイミングで彼は異動になった。

 

なんなんだよ。焼肉で、大事に大事に焼いていた肉が食べごろになった瞬間さっと奪われるような感覚。悔しくてたまらなかった。腹が立って仕方なかった。私の右腕なのに。ずっと私の右腕でいてほしかったのに。右腕どころか心臓だったのに。無理。やっていけない。直属の上司から彼の異動を告げられたその日は、どうしていなくなっちゃうんですか?????いないと無理なんですけど??????と本人に言っても仕方ないことをぶつけて子どもみたいに泣いた。誰も悪くない。強いて言うならば管理職なのに自分であらゆる管理ができていない力のない自分が悪い。それも分かっていたから尚更悔しかった。失恋でもこんなに泣かないよってくらい泣いたし、本当に絶望的で辛かった。

だけど、彼にとっては栄転で、大チャンスだった。ここで応援できないなんて上司失格だなと思った。こんなに悔しい思いをしながら見送るんだから、絶対に成功してこいよと心の中で呪いみたいなエールを送った。無理なことを言って困らせたり引き止めたりするのはダサいと思った。別の場所に行ってしまった人にずっと依存し続けるのも。

 

数ヶ月経った今、やっとロスを乗り越えたと思う。はじめのうちはダメだと思いながらも、もうこっちにいない彼に泣きながらラインを送ったり、彼がいたらもっとうまく仕事がまわったのになと比べてしまったりした。でも、次第に強くなった。誰かがいなくなれば、いる人でうまくいくように調整ができる、チームってそういうものだし、そんなこと私だって知っていた。いつかは誰かがいなくなるんだし。だから彼が異動になる時にも、いつかは大丈夫になるってわかっていた。もう連絡もとっていない。たまに人づてに頑張ってるよと聞いて、安心している。去年、私の弱音ラインに付き合ってくれたとき、彼の「仕事が楽しい」という文面を見て嬉しかった。めちゃくちゃ嫌だったけど、送り出した甲斐があったと思った。その時、彼はこっちの職場のことも少し心配だったみたいだけど、こっちのことなんて心配せずに今の場所で楽しく仕事してくれ!!!!!!と思った。そして心配をかけるようなふにゃふにゃの責任者でいてはいけないなと思った。もう彼に頼らずに自分で歩くぞと思った。管理職は、管理する仕事。自分の体調やメンタル管理も仕事のうち。

 

半年間、世界一頼りにしていた人。自分の仕事上の役割としては、間違っていたこともたくさんあったと思う。今、冷静になってみれば頼りすぎていたと反省することだらけだ。激務に心がやられて半分おかしくなっていたというのは言い訳かもしれないけれど、仕事上でこんなに依存した人は後にも先にもこの人くらいだと思う。

半年間、世界一頼りにしていた人。場所が変わればただの他人。目の前にある課題が違うだけで、こんなにも関係性は変わってしまう。当たり前のことだ。私の問題は私の問題、向こうの問題は向こうの問題。一緒にいないと見えないことばかりで、もう私は彼がいなくても普通に仕事ができる。何かが起こってもまず冷静になろうと努力して、どうすればいいか考える。ある意味、諦めた。どうしようもできないことはどうしようもできない。自分で解決するしかないから弱音もほどほどにする。体調を崩してもその分の仕事をカバーしてくれる人はいないから、体調を崩さない程度に危ないと思ったらセーブする術も身につけた。また一つ強くなってしまった。私は自分の強さが好きだけど、人に助けを求められない弱さが大嫌い。

 

頼りにしていたよ。一緒に働いてくれてありがとうと思っていたよ。私はポンコツだったからあなたには苦労しかかけなかったと思うけど、自分から泥舟に乗り込んできてくれる人がいるというのは心強いことなんだなと半年間ずっと思っていた。ずっとありがとうと言いたかった。もうこっちは大丈夫だから安心してそっちの仕事頑張ってくれ。半年間、世界一頼りにしていた人へ。表現の仕方の愛が重くてごめん。パワハラじゃないよ。感謝してるよ。

 

でもあなたがいなくなったので、私は退職のためにまた新たに後任を育てないといけません。最悪です。おわり。

 

 

 

 

 

しらんけど

来月少し長めの休みをとることができそうで、どこかに行きたいなと考えていた。すぐに海外がいいなと思った。国内にも良い場所がたくさんあって、旅するなら国内が清潔で安全なこともわかっているけれど、日本語が聞こえない場所に行きたいと思った。遠くへ行きたい。私は言葉が好きだ。日本という国が好きだ。だけど、たまにとても疲れる。聞き取れる、理解できる言語は全て自分の中に入ってきて心を乱す。理解できない言葉は単なる音で、私を疲れさせない。日本語が聞こえない場所は不安だけどどこか安心できる。伝わるだろうか。読めもしない看板を見たり聞き取れもしない隣人の会話を聞いたりしながら、自分の知らない言語で意思疎通をはかる人々についてぼんやりと考える時間が好きだ。言葉が好きだ。だけどコミュニケーションがとても苦手だ。言葉ひとつひとつに乗った感情について考えすぎてしまう癖が嫌いだ。安全な場所にいる不安に耐えられなくなったとき、人は旅に出る。知らんけど。

だらしないおとな

たまに突然すべてを投げ出したくなる。朝でも昼でも夜でも。つけっぱなしのテレビから流れている情報に一喜一憂しては知らぬ間に涙が出てはくるのに、肝心の自分は善人ではない。体中の水分が足りない。毎分毎秒、渇いている。何もかもをギリギリまで先延ばしにして、何もかもをギリギリまで我慢してしまう。田舎に吹く風は心地よく濁っていて、小さなことに目をつぶれば呼吸はしやすいのだろうと思う。過去のことは殆ど忘れてしまったし、人にも物にも思い入れもない。変わっていくものを静かに傍観しているだけ。いつも私は部外者だった。それが楽でよかった。自分の手中にあるとキラキラしなくなってしまうものがこの世にはたくさんあって、結局皆、特別でありたいとどこかで願っているのだろうなと思う。

 

「誰しも欠点があります」と書かれたおみくじを結んで帰ってきた。他人の欠点を許すことができないのは、自分の欠点を直視できないのと似ている。誰も悪くないのに誰かが傷つく世界だから、なんだかとてもよろしくない。スーパー平和主義だと言えば聞こえはいいけれど、平和主義なわけじゃない。なんだかずっとむなしいよ。恵まれて幸せに育ってきたはずなのに、周囲に支えられて生きてきたはずなのに、いつもどこかで冷めている。

 

寄ろうとしてやめたコンビニ、聞き取ることができなかったフレーズ、相手が笑って誤魔化したのにしっかり気づいてしまったのを悟られたくなかった記憶、不要な情が無駄に混乱を招くと知っているのに切れない優しくない優しさ。また帰ってくるよ、と、もう帰らない、を交互に思う。大好きと寂しいは共存するし、思い出したくない過去と笑っている現在も共存できる。私はたくさんの人から愛されてきた。優しくされてきた。助けられてきた。でも、その事実と自分の中で寂しさが消えないことは関係ない。ひとりは楽しい。ひとりは楽で、ひとりは安心だ。この安寧が続くのなら少しの寂しさなんて構わないと思う。

 

ずっと誰かと、何かと競い合ってきた。負けたくない対象があった。一番になりたいというよりも、一番に近づきたかった。自分の引いたラインをこえたかった。選ばれたかった。勝ちたかった。ずっと基準が自分の外にあった。他人と比べた価値で自分を測っていた。

大人になって、安全な場所にいるこの環境を、生ぬるく感じる夜がある。誰とも比べられないことを幸せに、そして物足りなく思う。もう誰の一番になるとか考えなくていいし、相手が自分以外の誰かを見ているのではないかと不安になることもない。そういう感情を捨ててから、恋愛をするとかそんなのも分からなくなった。人と付き合う必要性がない。臆病の境地。もう恋愛をしたくない、よりも、もう好きになった人と別れたくない、の気持ちが強い。築くのには時間がかかり、壊れるのはほんの一瞬だ。まばたきの間に全てが終わってしまうこともあるのだと大人になって知った。つくらない、こわさない、そんな中途半端な毎日でもある程度楽しい。住んで一年も経たないこの町に吹く風が軽やかで息がしやすいと感じるのは、何も知らないからだと思う。知るというのは傷つくことでもあると理解してから学ぶことから逃げた。だらしないおとなだ。

 

 

 

 

2024

お酒を飲んだ帰り道は、いつも半分泣いている。毎回、こんなに悲しくなるのならもうお酒は飲まないと決意するのに、簡単に自分との約束を破る。

 

かなしいことが多すぎるんだよ。

悩みは尽きない。

泣いても仕方ない。

 

やりたいこともない、強い気持ちも成し遂げたいこともない、日常の楽しみも特にないし、今晩食べたいものもわからない、体の怠さは取れないし、いつも心が渇いている。今年は優しくありたいと元旦に誓ったのに、もう既に自分の心の狭さに辟易している。

 

これまでで一番きつい一年だったとはっきり口にできた去年、これからは上がるしかないとずっと前向きに走ってきたけれど12月に失速、誰に相談するでもない悩みを抱えてもやもやもやもやと過ごして、ずっと停滞している。なんてこったい、って毎日思っている。私って何が楽しくて毎日生きてるんだろう。わからん。

 

心配なことばかり起こる。

うまくいかない日ばかり。

いつも何かやり残したような気持ちで

全てが雑音に聞こえて

前に進まなきゃって思えば思うほど私は固く頑なになってしまって助けてを言えない。

今だけだよと教えてくれ。誰にでも悩みはあるよねなんて言わないでくれ。この先もずっと不安定が安定な日々を過ごすのだろうか、考えただけで嫌気がさす。

 

 

かなしいことが多すぎるんだよ。

もう全部忘れちゃった。

誰のせいでもないことばかりだ。

 

いつか大丈夫な日が来ると信じるしかない。

みんな大丈夫になるよ。

 

 

13日水曜→14日木曜

眠さのピークに達しているのに、背中と腰が痛すぎて眠れない。なんかもう全部投げ捨ててどっか行っちゃいたいな。約束も破って期待も裏切って無責任に放り出してすっと消えちゃいたい。でも行きたい場所もないし生きてみたい場所もない。このままのらりくらり歩き続けるのが正直一番楽だと思う。楽な道を歩いた先に何かがあるとは思えないけれど。

うまくいかないことが起こる度に、うまくいったことを何とか挙げて数えてみる。自分は不幸ではない。運も良いし周囲にも恵まれている。だからこそ自分に欠落しているものが綺麗に見える。それはそれはキラキラと。この年までこうだったらきっとこの先も変わることはないだろう。変えるのも難しい。自分に足りないところを考え出したらキリがない。うーんどうやって自分を受容していこう。良いポイントが他人ベースのものしかない。

理不尽なことがたくさんあって、生きるってことは面倒なことと向き合う作業で、だからとても毎日が面倒だ。他人が争ったり揉めたりしているのを見るのがつらい。他人が自分に対してでなくても暴言を吐いたり声を荒げたりしていると無駄に傷付くし、イラついている人が近くにいると何故か自分のメンタルが削られていく。たとえその苛立ちが自分に向けられていなくても。一人でいても「一人にしてくれ」と思うし、「ほっといて構わんでくれ」と思う。私にとって人と関わるというのはかなり難題で、体力も気力も他の人の倍は余裕で必要で、それなのになんとかやれてしまう。頑張ったらボロを出しながらもそれなりにできてしまう。ちょっと努力したらちゃんとこなせてしまう。カッコつけすぎてしまう。毎日、あ〜なんでこんなことやってんだろうと思う。「それなり」の自分を受け入れられたら多分楽になる。現状に満足できたら随分楽になる。焦りを捨てたら楽しくなる。それはわかっている。でも馬鹿みたいな真面目さがずーっと邪魔している。

去年の今頃に送ったライン、まだ既読ついてない。送った翌日には、あ、切られたなってわかっていた。少し寂しかったけど、ガッカリはしなくて、あ〜やっぱりなって思った。無事に生きていればそれでいいやって少しほっとした。そうなる予感はあった。あんなに一緒に騒いでたのにさ。同士がいるから大丈夫って無茶な働き方もできたし不満を泣きながらぶつけたりできたのにさ。吸ってみたいって言ったら煙草くれたのにさ。でもそれって私がかなり甘えていただけで、相手は私にギブしてくれてただけだった。最近考える、ギブしたいのに私はずっとテイクしてる。後から気づいた時には手遅れで、ギブばかりを当たり前にしてくれる人って急に消える。そう考えたら私は消えない。毎日消えたいと思っていたけれど、私は消えることができない。こんなにたくさんもらっているから。人に甘えているから、消える思い切りもない。気づかないだけでずっと奪う側の人間だったと思う。私はもう人から奪いたくない。時間も気持ちも労力も。奪っていると気づいてから更に人と関わるということが重く怖くなった。ひとはひとり。ひとりだからひとと言う。知らんけど。

 

泣いて忘れる

ギリギリにならないとSOSを出さないタイプだ。昔から、どこがどう痛いのかどこがどう調子が悪いのか説明することが苦手だった。自分の痛みに鈍感だ。漠然と痛いことしかわからない。だから人の痛みにも鈍感でどうしようもないのかもしれない。日々、自分にがっかりしながら生きている。この、自分にがっかり、という現象は案外心にくるものがある。私は私として生きるしかないのはわかっていても、その下手くそさに反吐が出そうになる。

 

キャパオーバーギリギリのところを歩いて、やっと一日を終えて、帰りの駐車場で半分泣いていた。車に乗り込んだとき、ものすごく長くて深い溜息が出た。助けて、よりも、おい助けろ、って感じのSOS。とにかく誰かに寄りかかりたかった。ぱっと脳裏にひとりの顔が浮かんだ。すがる気持ちでLINEを開いて、文字をうって、消して、を何度か繰り返した。お願いだ、助けてくれ、助けてください。疲れた。労わってくれ。わかってくれ。もういいよって言って許してくれ。救われたかった。心がお腹ぺこぺこだった。からっぽ。つらい。でも、何がつらいのかもよくわからない。自分が何に苦しんでいて、どこがどう悲しくてどこがどうきついのかうまく言い表すことができない。

やるせない。自分のことなのに、説明できない。

めそ。めそ。めそ。

三十分くらい一人でめそめそして、その間にLINEの返信が届いた。ほしかった言葉をくれる人。忙しい人なのに余計な心配をかけて申し訳なくなる。心配されて情けなくもある。感情がこんがらがって涙が出る。泣くな。お前は強いだろ。そこらへんの人よりも幾分頑丈でたくましい自覚はある。ちょっとだけめそめそする時間があれば、ちゃんと回復する。次の日には何事もなかったように涼しい顔してる。

 

人に言わせれば、私は弱音を隠すタイプらしい。きっとそうではなく、人によって使い分けているだけだ。一度頼ったらどんどんダメになってしまう気がして、それが怖くて上手に頼ることができない。頼ろうとすると、寄りかかってしまう。私の重みなんて誰にものしかからせたくない。

 

私はキャパが狭いと思う。でも、限界ギリギリまで耐えられる能力は高い。私のキャパを例えるのならば、お風呂の浴槽に、小さな洗面器がいくつも入っているようなイメージ。小さな洗面器の水はすぐにいっぱいになって溢れ出すけれど、浴槽からは溢れない。日々、小さな洗面器の水を溢れさせながら、浴槽の中は溢れた水やごちゃごちゃ散らばる洗面器で散々なことになっているけれど、浴槽の外から見れば水も溢れていない綺麗な状態に見えるから大丈夫そうだと判断される。なんとなくうまくやれているように見える。見えるだけ。こういうタイプのキャパ構造の人は、急にいなくなるし、急に壊れる。ある日突然水がぶわーっと溢れ出して皆が驚く。本当は浴槽内で小さなキャパオーバーを何度も繰り返していたのに、外からは見えない。だから、急に壊れたように見える。いつか私の浴槽の水が溢れる日は来るのだろうか。

 

今年は散々泣いた。一人でも、人前でも。職場や家の駐車場でどれだけ泣いたか知れない。そんな夜を何度も繰り返して、しぶとく生きている。大丈夫だよ、そんなに心配しないでよ。でも、いつもちょっとだけ気にしておいて。そんな図々しい願いを綺麗に光る月にささげてみる。こんな私でも頼りたくなる人がいる。

 

 

変わらないでいて

INIのライブに行った

人生で現場というものがはじめてで、ほぼずっと泣いていた

その中でも、最後の挨拶の時のメンバーのフェンファンのコメントがとても泣けた

 

 

みなさんご飯食べてますか
ちゃんと寝てますか
あったかいお風呂入ってますか

ファンの皆さんに自分がそういう声をかけてもらって
自分はずっと一人だったからそういうことを言ってもらえることも少ないし、無理してしまうことがあって

 

だから自分と同じ境遇の人がいるかもしれないなと思って
自分もそういう声かけをしてもらえて嬉しかったから
今日皆さんに言いたいと思って

ちゃんとご飯食べてたくさん寝てあったかくしてね

 

 

 

って言っていた

ライブの前日まで働きづめで部屋もぐちゃぐちゃ、生活も乱れて肌もボロボロ、メンタルもへろへろになっていた私には優しすぎる言葉だった

今日まで頑張って生きてきてよかったなと大袈裟だけど本気で思った

 

 

フェンファンはすごい
思いやりを体現したような人だなと思う
こんなにハードな毎日の中で
皆に見られる仕事をしていて
プレッシャーもすごくて
そういう中で人のことを考えられる
人と人のやり取りをしてくれるフェンファンの
人間の本質というか心の清らかさと強さを感じた

 

ずっと変わらないでいてほしいことが実は一番変わってしまうことだと思う

この世界で思いやりとしなやかな心を持ち続けながらピュアに生き抜くことはとても難しい

フェンファンの言葉がすーっと心にしみこんで、余裕を無くしていた自分の物の見方や考え方を立ち止まって見つめようと思った

 

 

 

その後私の推しが鼻水の話をしていた

おわり。