他人の人生

きわめて個人的なこと

やさしく呪う

静寂の中に聴き慣れた低音がまざった。第一声を聞いただけで涙がせり上がる。そんな風に気を遣わなくていいのに、いつもより気弱でハリのない声色が、距離だけでなく気持ちも遠くにいるみたいで寂しい。誰にでも優しいわけではなくて、人に興味ない人なんだ。土足で踏み込んでこないところが好き、だけどそこがとっても嫌い。

 

捨てる前にぺらっとめくった過去の日記帳に、「怒らないところだいすき でも怒らないところだいきらい」と書いてあった。19歳から何も変わってない。距離をとられた時、しっかり分かる。全身が冷える。「どうでもいい」を原材料とした優しさなんて冷たさと同じ。

 

どんな人がタイプ?の質問に、あてつけみたいに返した。会いたいって言ってすぐに会える人。傷付けようとして傷付けるなんてやっぱり自分って人間のクズだなと思う。相手が傷つく言葉を理解している自分の暴力性を知っている。長年裏切られたと思っていたけれど、実は自分が先に裏切っていたのかもしれないと最近は思う。不誠実とも取れるような言葉を発していたのは相手の方だったかもしれないけれど、心の中で溜め続けて黙っていた私の方が不誠実だったんじゃないかって。

 

ごめん、結局私は自分が一番かわいい。だから自分の安全をとる。危ない道は歩かない。壊れそうな橋は渡らない。沈みそうな泥舟には乗らない。無理だとわかっていることを無理して追いかけない。二人の虚しさよりも一人の寂しさを選ぶ。どうして真面目に生きているのに幸福な気持ちになることができないんだろうって真剣に考えていることが傲慢でしかない。人として終わってる。いくつになっても人間はこわくて苦手。たとえ好きな人と一緒でも一人でいる時間がないと息ができなくなる、社会的には自立してムキムキに見えるけれど、個人としてはシャンプーされた犬みたいな精神なんだって、ほんとなんだって、それとこれとは違うんだって、伝わるのだろうか。嘘でしょっていつもみたいに笑われるのだろうか。

 

あ、この人も涙に気づかない振りする人なんだなって分かって何故か安心した。ここまで。いつもここまで。行き止まりしかなくて、遠くに行きたいのにどこにも行けやしない。安全柵を軽々飛び越えられたのって何年前までだっただろう。ここも行き止まり、あそこも行き止まり、と思い込むことで築いたこの静寂を無くすのがとても惜しい。それなのにたまに人前でうっかり泣いてしまうからまだまだ私は賢くてずるい。