他人の人生

きわめて個人的なこと

これから書くのは

これから書くのは私の汚い部分で、私の嫌なところで、私がもうずっと辟易していること。そして私の超個人的な話であり超個人的な見解でもある。それでも自らのこと、自分の偏った感情をブログに書くあたりが構ってちゃんだなと思うけれど、もうずっとこうやってネットに文を書いていると麻痺してしまうのだ。感覚が。それに、このブログを読んでくれている人がいるのならば、私が構ってちゃんで、うじうじと物を考えて答えを出せずに結局同じ場所にしか着地できない性格であることも薄々勘づいているだろうし、腹の底にどす黒いとまではいかなくてもグレーっぽいドロドロがあることにもとうにお気付きでしょう。知らんけど。

今年度中に一週間ほど休暇を貰えるかもしれなくて、その一週間で何をするかを考えていた。本当ならば旅行に行ったり帰省をしたり、友達に会いに行ったりしたいのだが、それは今は難しい。難しい、というより、無理だ。じゃあ、家で一週間ひとりで何をする?私の場合、一週間も家にいたら(しかも一人)、確実に死ぬ。人間として。多分社会復帰できなくなる。喋り方を忘れるし、寝て、起きて、食事をして、という生活が狂って何もかもわからなくなると思う。在宅で仕事をしている人は偉いなと思う。尊敬している。

話が逸れたが、出かけることができないのならいっそのこと副業をすれば良いのではないかと思い付いた(勤めている会社は今の期間副業可になっている)。早速、【副業・家】【副業・短期】などで検索してみる。私と似たような思考の人が多いのだろう、次々に副業の候補はあらわれた。

しかし、どれもピンと来なかった。ピンと来ないという表現は少し違うかもしれない。自分の思い描いていた副業と、実際の副業はなんとなく違った。私は副業でたくさんお金が欲しかったわけではない(もちろん、もらえるのなら欲しいよ!?)。暇つぶしをしたくて、普段の仕事とはまったく違う楽しくできる仕事や自分の趣味を活かすことができる仕事があればいいかなと思っていた。軽い考えだった。楽しいのならお金はいらないかなとも思っていた。副業は苦しんでやるものじゃないという想像があった。その上で、やりたいことが何もなかった。

まじか、と思った。私にとって仕事って仕事でしかないやんと思った。文を書くこと、鍵盤を弾くこと、それを簡単な楽譜におこすこと、本を読むこと、好きなことはあるけれど、私はそれを仕事にしようとしていないことが改めてはっきり分かった。好きなことをして苦しみたくないのだ。自分の納得することしか自信を持ってやれない。変に真面目過ぎるのだ。だから私は、今回の休暇で副業するのはやめようと思った。もしもするのならば、データ入力とか、段ボールいっぱい送られてくる内職とか、そういう本当に仕事っぽいことをしようと思った。多分しないけれど。

副業を調べているとよく出てくるのが、「自分の趣味や特技をいかしてできる!」という文言だ。そういうのを見ると、私の趣味も特技もお金にはならないなと感じる。得意な書く力をいかしてライティングの仕事をしています!という記事もみたけれど、そういうので成功している人って大体ちゃんとライターの講座を受講したり、書くための勉強をしたりしている。当たり前。仕事にするんなら、勉強しないといけないのだ。分かってはいる。でも、色んな記事を読んでいると、ライティングの仕事をしていると一括りに言っても中身は全く違うよなと思う。整った文を書いている人もいれば、これ本当にプロが書いたのか?お金もらって書いてる記事なのにこれでいいのか?と思ってしまう記事もたまーーーにある。

私は書くことが好き。書くことが好きというか、書かずにはいられない。人よりも思考のスピードが遅く、感情をまとめるのも遅い(まとまらずに暴れて終わることも多い)。だからそのぐちゃぐちゃを整理してまとめるために書く。とても身勝手な動機だ。そんな文に値打ちはないし、誰得でもない。あとから私が振り返って気持ちや思考を整理し、再確認するためだけの足跡。幼い頃から何かしらずっと書いてきたから、人より少しだけ書くのが得意だった。作文は褒められた。レポートもまわりより書くのがはやかった。それくらい。それくらいの才能。古本屋で他の本より20円くらい高く設定されている古本みたいな。古本にかわりはないのだけど。その才能を仕事にしたいとは思わないし思えない。自分のためだけに使うのにふさわしいくらいの才能。才能と呼べるかもわからない才能。

その才能を、私は適切に使っていないことがある。残念なことに、私は慣れたことに対して少しだけ要領が良い。だから、文を書く上でのウケるウケないをなんとなく判別することができるようになってしまった。

小学生の時に書いた創作童話が何かの賞をもらった。読書感想文もよく表彰されていた。何度か表彰されて、なんとなく掴んだ。【表彰されるような読書感想文】ってこんな感じだなとわかってしまった。そんな風に書こう、寄せようと思っていなくても無意識にそんな風な作文を書いてしまって(その型で書く方が楽だし)、出来上がった作文を読み返して「これ、多分入選くらいには入るな」と思っていた。実際にそういう作文は大体賞状をもらえた。ヤバい子どもだと思う。

そんな感じの人間なのだ。腹黒いと言われても仕方ない気はする。

最近のことで言えば、noteを書きながら「これはウケそうな、記事だ」みたいなことを考えてしまうようになった。noteはウケたくて書いているわけじゃないから、何かに寄せようとも、ターゲットをしぼろうともしていない(強いて言うならターゲットは夜中に起きている人)。でも、書き進めていく途中で、あ〜多分こういうのはウケるよな、とか、これは私がめっっっちゃ言いたいことを書いたけど多分そんなに読まれないなとか、勘でしかないのだけど何となく分かってきちゃうのだ。

すごく嫌われそうなことを書くけど、たとえば去年の春に出した一本のnoteは、おすすめに載るだろうなと思いながら書いた。載るだろうな、は、おこがましいか。おすすめに載れ!!!と思って、おすすめに載せるために書いたと言う方が正しいか。実際それまでの記事よりも書く時間はかかったし、そのテーマについてはずっと書きたいと思っていた内容だったので、前々から内容をあたためている部分もあった。その予想は当たったし、むしろ想像よりも多くの人に読んでもらえて、おすすめにもちゃんと(?)入って、その時思った。私、狙って書けるんじゃん。いちばん使いたくない才能と要領の良さの使い方してんじゃん、って。もちろん、書いた記事はそれなりに頑張って書いたし、気持ちを込めた。でも、下心があったのも確かで。とっっっても複雑な気持ちになった。

自分が持っている小さな才能を適切に使うってどういうこと?

今年に入って、私は既にやらかした。新年一発目に書いたnoteが、気付いたらまたもやおすすめ入りしていた。おすすめに入った時、やっぱりなと思ってしまった自分がいた。正直、その記事を書きながら、「これおすすめ入りそうだな」って思ってしまったのだ。程よい内容、程よい長さ、誰も傷つけない、程よい前向きさ。今回の記事はずっと書きたい内容でもあったし、読まれたいと思って書いた珍しい記事でもあったから、嬉しいことなのに。それでも、あ〜またやらかした、と感じてしまった。

私は私をエンタメ化したくない。それだけ思って書いてきた。noteを始めた初期の頃、ほとんどスキもつかない状態で書いていた時期、ある人から言われたことがある。あなたはセルフブランディングが下手ですね、うまくやればもっと読まれるようになるのに、と。自分でもそれはわかっていた。このことに限らず、セルフブランディングは下手だったから。それでもスタンスを変えず、自分のことばかり書いてきた。数年経って、読んでくれる人が格段に増えた今も、それは変わらない。変わらないけれど、なんだか自分がエンタメ化されているような気持ちになることがある。こういう感覚すらおこがましいのだけど。読まれるようになったと言っても過去の自分と比べてという話だし、セルフブランディングは今でも下手だ。だから、そこまで思うのは自意識過剰でしかないとは思う。それでも、これはウケる、これはウケない、みたいな偏った感覚(そもそも編集部のおすすめだって、出来が良い作品だから選ばれるとかではなくて、やっぱりどちらかというと万人ウケしそうな記事が選ばれている気はする)が変に身についてしまって、実際に予想通りおすすめに載ったりするとなんだか落ち込む、みたいな、なんとも言えないくそくそループを作り出してしまった。

私は私をエンタメ化したくない。私は私の書く力を私のために使いたい。こんなところ(ネット)でまで誰かの目を気にしたりウケるウケないとか考えて創作したいわけじゃないのだ。

私事ではあるが、昨年11月はじめに史上最大の失恋(当社比)をした。気持ちが落ち着いてきたと思っていたけれどまた気持ちがぶり返してきたり、急に絶望的な気持ちになってしまったりしていた月の後半に書いたnoteの記事が、編集部のおすすめ入りをしてしまった。もともと恋愛(それも失恋系)の記事が読まれやすいのはわかっていたはずだけど、読まれたくて書いたものじゃなかった。むしろ、こんな失恋の生傷みたいな文、読まれるのは恥ずかしいなと思う。ただただ、書かずにはいられなくて、その時の気持ちを書き殴って投稿した。そしたら、予想外に読まれた。読まれてしまった。ツイッターでもシェアされた。おすすめ入りして、note会員以外の人にもたくさん読まれた。まったくの想定外だった。そして、あ、私の失恋はエンタメ化した、と思った。

見ず知らずの人の失恋が拡散されて200もイイネと言われる世の中は狂ってる。読んでくれてありがとう。共感してくれてありがとう。涙が出たと言ってくれてありがとう。でも、恋の終わりを拡散された元恋人よ、ごめんね。もしこれを知ったらエンタメ化されたと思うかな。私は私をエンタメ化したくないんだ。個人的なことを好き勝手書いていきたい。パンクしそうな時はいつでも書きたい。自分のためだけに。そのくらいの才能だから。それに満足してるから。だって私にもしも本物の才能があったら、気合いの入った長文を書いたり歌を作ったりして、失恋なんぞ本物のエンタメにしてやりたいから。よく言われてることだよね、物書きとシンガーとは付き合うな、って。一般Peopleの私に中途半端にエンタメ化されるのなんて最悪だよね。何度も言うけれど、私は私をエンタメ化させたくない。たくさん読んでもらえて嬉しいけれど、個人的なことを安心して書く場所がある方が嬉しい。でも私は構ってちゃんだから、たまにウケるだろうな〜って思いながら書くんだろうね、まじでどうでも良いことを。ほんとに読まれたいことって、笑っちゃうほど読まれないしね。それが世の常。なんの話や。

読み返さず投稿しちゃいます。すみません。って、誰が読むかいな。明日の私が読んで?????ってなってるだろうな。おやすみなさい。

メモ(いつかまとめたい)

・そもそも、援助する、みたいな言葉は適切なのか

・援助してあげる、助けてあげる、みたいな言葉に反応してしまう、でも自分がやりたかったことはなに?助けてあげたいって思ってたっけ?どっちかと言えばみんな幸せになりたい、殺し合いしないでほしい、飢え死にしないでほしい、そういう気持ちが強かった。じゃあ、みんなの幸せってなに??現地の人たちは実際しあわせって思ってるかもよ?

・幸せとか正しさを押し付けるのがこわい

・わたしは正しさがわからない、正義ってなんだ

・「これからの正義の話をしよう」読む

・同じ援助をする人、同じ立場にいる人でもちょっとした立ち位置の違いで感じ方やアプローチが変わってる。やっぱ現地で実際に人々と触れ合ってる人の言葉が強い。すっと入ってくる。でも実際に政府や国際機関に届く声かと言われるとほぼ届いてない気がする

・最近は発展途上国とか後進国とかも言わないしさ

・ビジネスなどを持ち込んで現地の文化を壊すことへの恐れ、本当に必要なのかな?とか。宗教的、文化的な面から受け入れられづらいことってたくさんあると思うし、持ち込む側がぜんぶ正しいの?

・粗雑なプラン、援助する者の無神経さ、自信に満ちた優越感(114p)

・ほんとうに土地の事情を読み取り民意の要求水準に見合う活動をするには現地主力部隊の育成を中心にすべきは明らか(121p)←民意の要求水準について。民意の要求水準は支援する側のおおもとに届いてる?現地レベルでの実践になってるからだいぶきついのでは

・めちゃくちゃグサグサきた。これって私が仕事で失敗したやり方そのものやん。現地の人を育てなきゃ結局ハコだけつくって中身なかったら一緒やんって今更気づいたし、変に軌道修正かけて一ヶ月くらいで自分は引き上げてしまって中途半端だったなーってすごく反省。そりゃあ自分ができること自分がさっさとやったほうがその場では支援になるかもしれんけど、その後のことを考えた目線がまだまだ足りんかったな

・支援対象が国内でも国外でも人間でも動物でも大きくても小さくても基本は同じじゃないのかなってやっと気づいた。遅い

・いかに不合理にみえてもそこにはそこの、文化的アイデンティティがある(130p)それ、わかってるつもりでも現実になるとわかってないことが多すぎるんよね。まっっったく違う文化で生きてきたのに、いきなり批判されたりガッツリ変えられたりしてもは???ってなるよね

・先に武器をすてる、これは発砲以上の勇気を要する(167p)いろんな言葉が刺さりすぎてとどめにこれをくらって終わった。メンタルが。

・まるごしの安全保障

・安全保障でも人道支援でも開発協力でも日常生活でも(いきなり自分のことを語り出す)、これよ!!!先に武器を捨てられる?わたしは??捨てられん!!いつも相手がどこまで心を開いてくれるか様子見てからしか動けん!!!こんなやつが国際協力したいと思って勉強してた???けしからん!!!は?????

・私にとっての幸せが、あなたにとっての幸せじゃないし、私にとっての幸せが、世界にとっての幸せじゃない。じゃあ最大多数の最大幸福(合ってるか後から調べる)でいいの?ほんとうに???

・日本が幸せ、日本が正しい、ほんとうに???

・国際協力という広告だけの中身が伴わない実態について、ビジネスとして乗り込んでくる人は多いけれど定着せずにすぐにいなくなる、でも「これだけやりました」という報告ができれば形として残っちゃう、そういう形は多くは残さずとも現地で支援とも思ってないうちに支援できちゃえる人がいる、これって多分その人の人柄とかもあるんだろうな、言ってることの意味がわからんくなってきた

・震災の時もあったけど、物資を送ったり安易なボランティアをしたりして逆に迷惑かけたり傷つけたりするっている例もあるでしょ、なんかそういうの頭でっかちでふわっと知ってると実際にことが起こったときに何も動けなくなっちゃってそこも罪悪感のひとつなのよ 友達が避難所生活してるのにその様子を聞くことしかできなかった21の私よ

・これを本では「無邪気な思い上がり」「善意で行われる迷惑」と表現してある。これがいちばんタチ悪い実際

・本の終わりに「われわれとて不動の自信を持って現地活動をしているわけではない」って書いてあった。「現地は外国人の活動場所ではなく、ともにあゆむ協力現場である」このスタンスは私の実生活にも役立つ言葉だと思った。

・この一冊だけでも考えがまとまらんでわやわやしてるけど一冊だけで判断するのはよくないと思うから他にも本を読む

緒方貞子さん「私の仕事」読む

・まとまらなくなったし眠くなった。心だけモヤモヤしとる

・読んだ本に感化されてうるさくなりがち

2020

雪がやんだ。

今年はじめての雪。出社時、空気が痛みを感じるくらいに冷たくて、とうとう季節が本気を出したんだと思った。退社時、水色の愛車の上にうっすらと白い雪が積もっていて、その色合いが可愛かった。つくりものじゃない雪が降る。夕方、近所のこどもが「ゆきゆきふれふれもっとふれ〜」と叫び歩いていて、無邪気さが苦しかった。滅多に雪の降らない地域で生きてきたから、雪を見ると大人になっても少しだけ心が揺れる。お菓子の缶に、雪を入れて大事にしまっていたこども時代の私がたまにひょこっと顔を出す。雪はセンチメンタルの材料にもなる。もし別れていなければ、こんな夜は【くそほどさむい】と品のないメッセージと少しだけ積もった雪の写真が送られてきていたのだろう。もうそんな夜は来ないけど。

夜中に慎重に車を走らせながら、あと一日で今年が終わるんだなと思う。ありえない一年だった。今年の一月は、ウイルスでパニックになることすら想像せずにモロッコに旅行に行っていたし、オリンピックが開催されると思っていたし、熊本から脱出する一心で生きていた。2020年が終わろうとしている今、世界が大きく変わった。よく考えた、必要不可欠について。エッセンシャル、エッセンシャル、と頭の中で反芻していた。私の仕事はエッセンシャルなのだろうか。ステイホームとあれだけ叫ばれているのに毎日職場に出かけ、人と接する最前線で働いて、仕事のやりかた自体は何も変わらなかった。たしかに私たちを必要としてくれている人たちはいて、でも必要不可欠とは言い切れなくて、業界の景気はどんどん悪くなる一方で、なんとか助けてくれようとした政策へのありがたさと振り回される疲弊、その政策への批判を自分のもののように感じる夜もあって苦しかったり、その苦しさが「やっぱり私の仕事はエッセンシャルではない」と思う材料になったり。それでも前ばっかり向いてたら何となく前に進んできた。何度も読み返したい一枚のメモ、【この大変な中、おもてなしをありがとう、ゆっくりくつろぐことができました】。ありがとうと言われるとこっちが救われちゃうよ。毎日綱渡りで、本当はもっともっともっと褒められたいしお疲れ様って言われたいけれど、きっとそう望む大人が世界中にいるんだろう。満たされないから文を書いたりSNSしたりそんなことでバランスをとりながら、割とちゃんと生きたと思う。

仕事納めという概念がない。365日24時間まわっている休みのない私の職場、地球と一緒に回ってる。いつかこの仕事をしてましたって胸を張って話せる日がくるのだろうか、早く生活プラスアルファの楽しみをサポートできる世界に戻ってください。2021年には、会いたい人に会って行きたい場所にも行ける世界に戻っていますように、人生はいつでも今が踏ん張り時、私は生まれてからずっと踏ん張ってる、それが私だからそれでいいか。優しい人に恵まれている。私は生まれてからずっとラッキーだ。散々なこともあったけれど、2020年、私と出会ってくれてありがとう、私と出会い続けてくれてありがとう、来年こそは本当に会って話そうね。

悪夢をみてオールしてしまった

悪夢をみて目が覚めて、ああ夢かって思ってスマホを開いたら、だいぶ心の冷えるラインが目に飛び込んできて、悪夢の続きなのかな?と思ったので、それを断ち切るために台所に立った。ここ数日で、元恋人から連絡が...みたいな記事や話を二、三立て続けに見たり聞いたりして、だいぶタイムリーだな、みんな元恋人に連絡したくなっちゃう季節なの?って思っちゃった。雑念だらけで台所に立ったのに、雑念をたっぷり入れて煮込んだのに、豚バラ大根はおいしいからすごい。夜中に何かを煮込むのは好きだ。もうずっとこんなことばかりして生きていきたい。難しいことは考えたくない。

何度も言っているけれど、「別れてから友達に戻ろう」「別れたあとにも連絡取り続けたい」みたいなのが分からない。私はそうは思わないというだけで、いろんな意見があるのだろうけど。友達に戻ってどうするの?仮にも私は元カノの立場じゃん?もし恋人が元カノと連絡とりあってるの知ったら嫌じゃん?って思ってしまう私は一周まわって超重い女なのかもしれない。しらんけどさ。

情がないの、自覚はある。でも、さよならの後には何も続かないでしょう?ちょー好きだった。それはそう。でも、今は今。本当に私は上書き保存じゃんね、ていうか上書きするものもないのに、「無」で上書きできちゃってるのうけるって思ってる。私は私で頑張って生きていくことにするから、もうあんまり心を乱さないで欲しいよ。って心乱されとるんかいって感じだけど、19からすきだった人間をまるごと嫌いになるのは悲しいんよね、もう恋じゃないけど嫌いにはなりたくない、大恋愛かよ。

1111の感情記録

何か物凄く大きなものを失った気がするけれど、それが何なのかは分からない。普段から一緒にいるわけじゃなかったから、もしかしたら何も変わらないのかもしれない。 すぐに写真もラインも消した私を容赦ない女だと思っただろうか、それならもうそれで良い。理解できない、みたいなことを言われた気がするけど、それすら覚えていない。終わってしまったものを取っておいてもどうしようもない。また熱りが冷めたら会えるかな、連絡取れるかなって思われたくもない。恋が終われば全部終わり。仕事などでどうしても関わらなければならない人でない限りは、終わり。そういう話を前にしたことがあるけれど、それを覚えてくれていたかも分からないし、仮に覚えてくれていたとしても理解はできなかったということだ。こっちだってそんな生温い気持ちで付き合っていた訳じゃなかった。別れても誘えばのるなんて安い女にも見られたくないし、遊びやキープならいらない。きっと相手は甘く見ていた、私のことも、関係のことも。終わり際にまた連絡してもいい?みたいなこと、結婚まで考えていた相手に言うのはどうかしている。無理、と一刀両断した私に明らかに不快な声を出して小さく罵ったのを聞いて、ああ、もう完全に終わったなと思った。全てが違い過ぎた。きっと泣きつけば戻るくらいに思われていたのだ。その胡座のかきかたも実際嫌になっていた。 振られたのは私だ。でも、安心したのも私だ。重くなっていた。好きの方向がどんどんズレて、それを真正面から受け止める力がなかった。相手が持っている人生設計の理想を語られるたびに、自分の人生を妨げられた気がしてしまった時点で違ってた。どこまでも自分が可愛かったし、私はまだまだ自分のために生きたいしそうできるって、自分にある程度の自信もあった。だから、自分の小さな成功や努力が実った瞬間に、一緒に手放しで喜んでもらえないことが悲しかったし、言葉の端々に垣間見える小さなトゲや否定を過剰に感じ取ってはこっそり傷ついた。 そういう点でも、違ったのだと思う。何もかもが。 私があれだけ小さく傷付いたということは、相手もだいぶ傷を負っていると思う。互いに悪気はなくても、信じているものが違うのだから、感情まかせに強く主張すればそりゃあ相手も傷付く。そんなこと知ってるはずだったのに、理解してなかった。 愛することを人任せにしすぎたとでも言えばいいのだろうか。タイミングと運も、もちろん悪かったけれど、人間的な問題だと思う、たぶん。私が抱いている感情は、全て私の問題だ。自分を被害者だと思っていない、きっと私の方が加害者だと思う。でも、社会的な安心とか何となく周りに合わせた人生設計とかよりも、今目の前の熱を持ってやれることを選びたいと思った私の感情を否定されたくない。自分とは意見が違うけど、それを選ぶことも悪じゃないよって言って欲しかったな。 私は強い自分が好きで、頑張る自分が好き。自分が好きな自分を認めてくれる人と一緒にいたいんだと思う。つまり、恋愛うんぬんじゃなく、一人の人間として尊重されたいだけなんだろう。私の人生の最大の目標は、それだけのような気がしている。

みんなさびしい

他人からの評価でしか自分を認めることができない私は、すぐに自分を見誤る。だからたびたび生きるのがしんどい。他人が羨ましいという気持ちばかりが頭の中を占めていて、いつだって自分には何もないなと思う。

このまま生きていくのかな。言いたいことも言わなきゃいけないことも何も言えずに、生きていくのかな。だとしたら余りにも長い。人生が、遠い。

悲しいことが起きて、でも私は元気に見えてどうしようもない。悲しい、一言、それが言えなくて26年経ってしまった。喉の奥で化石みたいになって積もっていく言葉が、なんてことない言葉までせきとめている。愛嬌があっていいな、可愛がられていいな、大事にされていいな。そんなことを言っている自分を想像したら醜すぎて震えた。つい口走ってしまわないように、やっとのことで息を整える。

誰かの足跡の上を歩いている。何度も「強いね」と言われる。そう言われると強くいなくちゃいけない。「強い」と言われると、その度に呪いがかかる。そうだよ、私は強い。でも、はじめから強かったわけじゃない。強くならないと生きていけないから、強くなった。それだけ。だって泣いても動けなくても誰も守ってくれんかったやん。あなたはいいよね、守ってもらえて。大切にされて。庇ってもらえて。その愚痴もその環境にいるから言える言葉ばっかりだよね。口に出せばきっと後から後から美しくない言葉ばかりがあふれそうで、だから最初から何も言わない。汚いのは内側だけで十分。

自分で自分のバランスをとれるように頑張ってきたつもりだ。つもり、だから実際は分からない。むかし、頑張ってるのと頑張ってるつもりは全然違う、頑張ってるかどうかは他人が決めるものだと叱られたことがある。元々それ以前から私は他人の評価でしか自分をはかれなかったのだけど、ああ、頑張ってるなんて主観なんだなと恨みみたいに思った。

人に止められないと止まらない。

人にGOを出されないと動けない。

人から言われたイメージそのままの私を実行してしまう。

もらった言葉の通りの人間になった。

すぐに言葉の呪いにかかるのに、呪いは簡単にとけない。

不用意に人と関わると、どうでもいいところで傷ついてしまう。私の場所はどこだ。私の存在はどこだ。私の意味はどこだ。

たぶん、そんなの、はじめからない。

私が私をしっかり捉えていないから、私が自分の中でかたちになっていない。私はきっと一生、人に認められてギリギリ安心しているんだ。

たまに考える。私をたくさん褒めてくれたあの人は、誰かにちゃんと褒められていたのだろうか。ほら、こういう主観的なところ。みんな寂しいなんて勝手に思い込んでるところ。

今年の夏の花火の記憶

花火しましょ、と後輩に誘われて、のこのこついていった。時間と集合場所だけ聞いて、部屋を出た。

花火をする場所まで十人弱でお喋りしながら歩いた。いつも一人で歩く夜中は、数倍賑やかで愉快になった。近くに花火する場所なんてあるのかな、なんて考えていたけれど、ちゃんと花火ができる小さい公園に到着した。最近は海や公園でも花火を禁じられているところが増えている気がする。私たちの夏は気づかないところでじわじわと奪われている。

後輩たちが持ってきた手持ち花火の袋を開けたり、ろうそくに火をつけたり、バケツに水をくんだりしているのを、ブランコを漕ぎながら眺めた。誘われた青春。準備してもらう青春。この夏はじめての花火。この夏にはじめて出会った後輩たち。ブランコを漕ぎながら、これが青春か、と思った。予想していなかった夏。予期していなかった出会い。かわいいかわいい後輩たち。夜だから、と、声をひそめながらわいわいと集まるかわいい人々。あ、これ、人生のなかで、とても好きなシーンにランクインするな、と思った。他人事みたいに思った。

準備が整って、皆が次々にわくわくと花火に火をつける。手持ち花火がどんな音をたててどんな火を吹いて、どんな色に変化していくのかなんて十年以上前から知っているはずなのに、それでも心が弾む。隣の人から火をもらって、隣の人に火をあげる。あっ、色変わった!次はどれにしようかな〜。え、煙めっちゃこっち来る(笑)。この花火湿気ってない?静かに声を弾ませながら、花火に夢中になる人。途中で飽きて公園の遊具に寄りかかっておしゃべりを始める人。チャッカマンで懸命に火をつける人。それらを一生懸命写真におさめようとしている人。

私たちは、それぞれが、それぞれだった。思い思いに楽しんでいるだけなのに、なぜ、それが「私たちの」思い出になるのだろう。なぜ、思い出の題名をつけるとしたら「一緒に花火をした」になるのだろう。愉快だなと思う。この二時間足らずの夜が思い出になってしまうことが、奇跡だなと思う。

手持ち花火の最後に線香花火をするというイベントはどこで生まれたのだろう。例に違わず私たちも最後に全員で線香花火をした。一緒に火をつけて、誰が最後まで残るかやってみよう、なんて言っていたけれど、結局なんとなく同じタイミングで火をつけて、なんとなく終わった。誰の線香花火が最後まで光っていたかもう覚えていない。それもそれで楽しかった。

花火が終わってぞろぞろと夜を歩いた。少しセンチメンタル気味な気持ちになって、これが青春かあ、と言ったら、隣を歩いていた後輩が、青春はいつまでも続きますよ、的なことを言った。たまにそういう名言っぽいこと言うよねってへらへらと笑った。それすら青春に思えた。

この短い夏の夜のことを、きっと私はすぐに忘れてしまう。誘ってもらった青春、準備された青春、青春を近くで眺める青春。後輩の言葉はあながち間違ってはいないかもしれない。いつまでも子どもでいたいな、楽しいことを楽しんでやれる人でありたい、楽しいことに誘おうと思ってもらえる大人でいたいな、そんなことを思った。